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折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない

170ガ〜ン:2004/07/26(月) 20:43
みなさま初めまして。
“寝ている(≒非活動家)”学会員のガ〜ンと申します。
(ハンドルネームは昨年3月の出来事に由来しています)

このスレッドを一通り読みまして、
このサイトが「創価学会の内部改革」的な
方向性であられることに対して、
大変大きな喜びを感じております。

そして、このスレッドについての感想ですが、
おおかたはモーリスさんに賛同しています。
しかし「仏法僧」の「僧」として組織は必要だと思います。
僧は「僧侶」ではなくて「僧伽」つまり「京都サンガ」の「サンガ」で、
鍛え合う相手がいなくてはならないと思います。

一方では創価学会の組織はメチャクチャだと思っております。
私のハンドルネームの由来の出来事とは、
イラク戦争を公明党が肯定し、
そんな公明党に対して創価学会が支援をやめなかったことです。
法華経は「生命尊厳の教え」であるのに、
「生命を軽んずる最大の行為≡戦争」を肯定してしまったのです。
つまり、現・創価学会は「法華経の敵」となったのです。
法華経の敵に与し、法華経の敵の手先となっていては、
仏界が湧現できるわけがないと思います。

それ以前においても、
銀舌居士さんが[88]で

「つまり折伏するから
  一生懸命唱題あげるようになる、
  ということもありえます。」

と述べておられますが、
こういう例は十に一つはあるかもしれない頻度なのに、
多くの場合に、
「唱題を多くあげさせるために折伏をさせる」
や、
「折伏をさせれば自動的に唱題が増えて功徳も受けられる」
などという図式を念頭に置かれて指導がなされてしまうのです。

もし、そういう軽はずみな折伏が僅少なのであったら、
八百万世帯を有する学会が一千万に全然届かないのを、
どう考察すればいいのでしょうか?


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