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折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない
154
:
ぱるぱる
:2004/06/30(水) 11:02
>>150
多美音太さん
>前提条件とは違います。まず第一に思想の流布、それから体験です。
>入信をすることを目的とするのではなく、信仰体験を掴むには入信は不可欠ということです。
そうですか、不可欠という事は、前提条件ではなくて必要条件という事ですね。
>本当は、入信なんかしなくてもいいのですよ。
えーと、入信は不可欠なのに本当は入信なんかしなくてもいい???
信仰体験が必要ないなら入信しなくてもいいって事でしょうか?
うーん、まず「入信」の定義からお話しをしないと多美音太さんの書いてらっしゃる事が
よくわからないので、先にそっち行きます。
>>それからその「入信した」とする判断基準はなんでしょうか?
>入信決意を表明し、ご本尊を頂くことです。
入信決意を表明するっていうのは第三者を想定されているんですよね。
それはいったいどういう事でしょう?
法華経に帰依するのに誰かに何か言わなければならないのでしょうか?
どういう状態が「入信決意を表明する」という事なんでしょう?
「ご本尊をいただく」・・・これは文字曼陀羅を下付される事を仰っているのですよね?
学会から下付される文字曼陀羅は学会に入らなければ下付されないのでは?
法華経に帰依するという事なら、東に向いて題目を上げるだけでも十分なはずですが。
学会でも都合上文字曼陀羅を持てない人にはそう指導していませんか?
非会員の家族がいる場合、その家族の同意がなければお形木ご本尊は置けないという
指導ではありませんでしたか?
>>そして結局は「入信しなければわからない」というよくある折伏の言葉に繋がるように思います。
>いいえ、入信しても分かりませんよ、真剣に体験を掴めるまでやらなければ。
それでは体験を掴めないと「信心が足らない」というよくあるセリフと同じですね。
だから、学会のかたは必死になってちょっとした良い事でも「体験」にしたがるのでしょうか。
なんだか一つわかった気がします。
で、一番始めに戻るのですが、体験をする為には入信が必要なんですよね。
多美音太さんは折伏の基準を
>本当の意味での基準は、思想の流布であり、体験です。
と書かれていますから、やっぱり入信が必要条件と読めます。
しかし
>本当は入信なんかしなくてもいいのですよ
とも仰る。
ですが「ご本尊をいただく」事が「入信した」という事になり、ご本尊下付は
学会にはいらなければできない(学会の文字曼陀羅以外でよければ別ですが)。
どうにもわけがわからないんですが・・・。
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