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折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない

146ぱるぱる:2004/06/28(月) 14:46
(続き)
>私にとっての折伏は、学会に入る入らないのは判断の基準ではありません。
>組織上では入信した、しない、が大きな基準になりますが、
>本当の意味での基準は、思想の流布であり、体験です。
>その延長線上に、「入信」と言うことになります。
>「入信する」という決意なくしての本当の信仰体験は不可能と考えます。

うーん、すみません、文章がよく理解できないので質問させて頂きますね。
延長線上に「入信」があるとしながら、「入信」の決意なくして本当の信仰体験が不可能と仰るのなら
それは延長線上じゃなくて前提条件という事ではないでしょうか。
そして結局は「入信しなければわからない」というよくある折伏の言葉に繋がるように思います。
それからその「入信した」とする判断基準はなんでしょうか?

>分かります。私もあまり学会を知らない友達は、連れて行きたくないです(笑)。
>同時中継の後半、先生のスピーチだけ連れて行きたい気分です。(^^;
>始めは、信仰を教えてあげればいいのではないですか。
>そういう方も沢山いらっしゃいますし、最初は、組織活動よりも、題目の凄さを体験させることが大切です。

多美音太さんにとっては池田氏のスピーチと信仰がイコールのようですね(^_^;)
もうそのへんで考え方が違ってくる会員さんもこちらの板にはたくさんいらしゃいます。
最初も最後も組織活動に賛成できなかったらしない。それが健全な行動だと思うのですが。
題目をあげる信じる。私は法華経の信仰はそれだけで十分だと思います。
そのかたが素晴らしいかただったら、自然と周りの人がなぜそうなのか聞いてくるでしょうから、
その時法華経・・・勤行や題目のお話しをすれば共感するかたは信心されるでしょうから。

誤解して欲しくないのですが、私は多美音太さんを非難しているわけでも批判しているわけでもないのです。
その情熱や行動力が結局学会にとって都合良く使われてしまうんではないかなと危惧しています。
それは外部にとっても大きなマイナスになることですから。


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