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折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない
130
:
多美音太
:2004/06/26(土) 04:00
はじめまして、みなさま。
長いスレッドになっておりますが、ざっと拝見させて頂きました。
>>モーリスさま
私が思うに、モーリスさんは、「題目には功徳がある=力がある」と思っておられて、
何らかの体験もお持ちとお察しします。
そして、創価学会の活動をされた上で、
「指導のあり方」について、批判をされているように思われますが、
ここまでは間違いございませんでしょうか?
確かに、今の学会幹部は、指導の仕方がおかしい?
と思う事は私もしばしばありますし、
モーリスさんの意見に、思わず私もうなずいてしまうところもあるのですが、、
しかし、「折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない」というタイトルに、
私は思わず「折伏・選挙・新聞啓蒙は必要のないことだ」と読めてしまったのですが、
そう読めるのは私だけでしょうか?
例え、それが誤解であったにしても、
少なくとも、そのような誤解を招く可能性が大のテーマだと思います。
特に「折伏」を一つ取り上げると、折伏が題目よりも功徳が、あるのか、ないのか、
ということは、ある意味、「その人の感じ方」です。
それを、「折伏は題目より功徳がある」等という学会幹部の指導があって、
このようなスレッドが立ったのでしょうが、「功徳が人の感じ方」であるなら、
ある意味、その学会幹部は間違いを言ったのかも知れません。
しかし、私は間違いだとは思いません。
何故なら、「折伏は絶対に必要」と私は考えるからです。
モーリスさんは、「折伏は必要」と考えますか?
それとも、「折伏は必要ない」と、考えますか?
自分に必要か不必要かではなくて、「折伏」そのものをです。
それから、モーリスさんにとっての、「仏界の涌現」とは、どのようなものなのでしょうか?
「功徳」という意味でしょうか?
ちなみに、私は、「折伏は題目よりも功徳がある」と思ってます。
何故なら、他人の人生に深く関わって、その人の宿命や悩みを、一緒に同苦し、
一緒に乗り越えていく、それは本当に大変な事だし、尊い事だと思います。
そこには、題目だけでは味わえない、人間の大きさ(境涯)が問われ、責任が伴います。
それは、自分がどんなに辛い状況が起きていても、折伏した友人が問題を乗り越えるまで、
励まし続けなければならないからです。
その為に、自分に負けないように、題目をあげ、生命力を着けるのです。
それによって、友人の幸福と共に、自分の人間的な成長すなわち境涯があがり、
結果的に自分の元々の悩みすら乗り越えられる自分になる。
これが、信心の何よりの醍醐味であり、題目だけでは味わえない功徳だと思います。
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