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☆ひとり言☆
224
:
春田の蛙
:2004/03/28(日) 15:16
自然の理に相叶わば、仏恩をも知り、また師の恩をも知るべきなり
自分を偉そうに見せなくても、本当に相手の事を思い、仏道にかなう教えを謙虚に説いたなら、
相手は自然に仏恩を感じ、それを教えてくれた人にも感謝してくれるという意味。
原文はひらがなが多いのですが、返って解り辛いと思うので漢字を当てました。
「こんなに一生懸命やってるのに!」と思う前に、
尊敬されたい、感謝されたいという指導欲がなかったか反省しようって事ですね。
ちなみに、その前にはこうあります。
師を背きて、人に連れて念仏すれば、往生すべからざるものなり等言う事、不可説なり。
如来より賜りたる信心を、我が物顔に取り返さんと申すにや、かえすがえすもあるべからざる事なり。
親鸞には信楽房という高弟がいましたが、ある時意見が合わなくなり、信楽房は親鸞の元を去りました。
親鸞は彼に本尊や経典を授けていた為、他の弟子達はそれらを取り返すよう勧めます。
本尊や経典には親鸞の署名もあり、師弟の証となる物、
信楽房が親鸞の名を利用したり、あるいはそれらを捨てたらどうするのか。
しかし、親鸞は取り返そうとしません。
野山に捨てたなら、野の兎、山の猪への仏縁となり、それも功徳と考えれば良い。
そもそも信心は、阿弥陀仏が信楽房に賜らせたものであり、親鸞が与えたものではない。
親鸞は、弟子ひとりも持った覚えはないと。
「なんで分かってもらえないんだ!」と思う前に、
「自分は正しい」という気持ちを離れて周りを見れば、案外理由は見えるものです。
そうして自ずから明らかになり見えてくるもの、
我が計らいの自力を離れて分かる「当たり前」。
これを自ずから然らしめられる事――自然と言います。
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