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☆ひとり言☆

221摩訶提婆:2004/03/21(日) 04:48

 「摩訶提婆'S DIARY」番外編。

 暫らく、お休みです。

 真宗の話題を、入れてしまったので、仕方が無いので、『現代によみがえる歎異抄』(高・史明)(NHK出版)を買ってしまいました。

 余り良く解らず、買ってしまったのですが、なんと!筆者は在日朝鮮人の方でした。怪しすぎる!

 何でも、息子が、12歳で自殺してしまったのだそうである。夏目漱石の「こころ」を読みつつ・・・。怪しすぎる!!!

 余り、怪しすぎるので、百ページくらい、一気に読んでしまいました。

 おいおい!こんな事、ほんの部分の出来事だよ!

 こんな事で惑わされてはいけない!

 殆どの在日は、仕事が無くて本土に残った「ほいと」の分際なのだ!嘘、ぶっかましてんじゃあ!ねぇー!!!

 嘘も程ほどに!学会人も、そうだぞ!!!

 ・・・・・・

 阿弥陀さまは、UN−METERでしたか?

 私も何処かで読んだ記憶があります。『大法輪』だったかな(時々、買ってます)?

 それ程の者ではなかろう、と、思ってしまえば、それまででしょうが、他宗派の人の心を動かす、何物かがあると感じています。・・・はたして、日蓮には、そのようなものが、有るのか?否か?

 浄土宗系の起源の一つは「老荘」に有るのだそうです。

 実際、私が、前回、出した引用の文も、実は、老荘の本からのものでした。

 「老荘」と言えば「無為自然」と言う言葉が飛び出てくるのでしょうが、そもそも、日本の仏典に現れる「自然」の語は、印度にまで、遡れるものでありましょうか?親鸞上人関連(親鸞上人の直接の筆になるものをあまり見ていないので、この様に書いて置きます)の書には多く登場するようです。途中までしか読んでいませんが、歎異抄の中から、ちょいと引用。

「自然のことわりにあいかなわば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々」

 仏教では「自然」を「じねん」と読みますが、読みによって、意味が変わるわけでもないでしょう!「天然」と読み替えてもよいでしょう!「天然果樹100%」のアレです。(「自然に仏界に至るべし」云々。御書に有ったね!)

 はたして、自然・天然の指し示すものは何か?

 いきなり言われれば、世代の差も有りましょうが、自然とやらを深く踏み行った「深山蒼谷」をイメージするのではないだろうか?更に、イメージを膨らませれば、荘子の様に、蒼い一点に集約されてしまうかもしれません。

 その人知の計らいを超えた所に、弥陀仏を発見したようです。

 中国の浄土教の完成は親鸞上人に有ったと豪語する方もあるようです。

 ところで、この自然とやらの、一産物が「人」で有るにもかかわらず、この「人」の「知」の働きが、「自然」とは別の「人為」とされるのには、少し、納得がいかないのではあるまいか?

 「人」は自然ではないのか?自然の産物である「人」の、行いは「自然」では無いのか?

 公害廃液も「自然」であれば、林立する原子爆弾でさえ「自然」であろう!!!

 何でイラク派兵に反対しているのだ?馬鹿モン!

 人をも含めた「有為自然」という考え方もあるようだが、何故か、多く語る書を見たことが無い。

 「有為」「無為」の別を超えたところに、この結論があるのであろう。

 この「自然」に向き合い、対向する「我」は、自然の産物にして「自然」を認識するものである。もう、これは、自然の、世界の!宇宙の!終極的結論であって、その実現形態であり、その完成形態である!

 しかるに!「世界」は、絶えず「我」に敵対的である!ふざけるな!!!

 即ち!

 世界を破壊せよ!!!

 ではでは・・・

 恐恐謹言。

摩訶提婆


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