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崇教真光について

111ろく:2011/06/09(木) 22:58:27 ID:tXqYlIuw0
真光死ね死ね団さんへ
それでは気苦労が絶えませんね。20年間もよく嫌なつきあいをされてきたものです。私の考えますところを以下に申し述べます(稚拙な答えかも知れませんが)。

「真光と精神異常」「手かざしと精神異常」について
ご存じのように「精神病は霊障」とされていますから、「⑦番→⑧番をよくお浄めしよう(不眠症の場合など)」とかいいます。
しかしながら、ある道場長の息子さんがうつ病を発症し、長く患っているというような皮肉な現実があります(お気の毒に)。また、正常な人が入信後に、一時的に「浮霊」した状態が続いて、医学的には「自律神経失調症」となる場合も散見されます(そのうち自然に直る場合が多いが)。
ですから、「真光」・「手かざし」と「精神異常」には直接的な関連性はないでしょうが(医学的に証明されていない)、隠れていたその人本来が持っている「精神異常」をきたす原因を掘り起こしてしまう可能性があるものと考えます。

「真光と一般常識の欠如」について
教団も社会の縮図であると考えます。どこの会社でも学校でも団体でも、いろいろな人がいます。お宅のように「古くからの組み手」ばかりで「家族総神向」(建前上でも)になっている場合ですと、お互いが実に悪い意味で「狎れて」しまって、お付き合いのケジメがなくなっているのではないかと思われます。車を変な場所に停められてお困りであれば「困ります」と一言おっしゃればよいのではないでしょうか。
「常識」とは、その人が生活している場所や環境では「当たり前」であるとされていることです。日本人全体と真光教団の「常識」にズレがあるとすれば、それは悪くいえば「み教えがおかしい」(例えば共産党の人たちは自分たちの党を「前衛的」であると表現しますので、真光教団が「神造りの教団」と独自性を表現してもおかしくはないですが)ということになります。
もっとも、今では日本人も価値観が多様化し、「みんな違ってみんないい」というように認め合うことが必要な時代です。それをもし、教団に属する人々が垣根心をつくって「自分たちだけが正しい」「あの人は邪神邪霊にやられている」などと不当に非難するようでは、教団の人たちに「常識がない」ということになりましょう。

今の日本では、ひとつの家族の中でも世代や思想(信仰)によって、様々な価値観があるのでしょうが、人間としてお互いを大切に思ってみえるのであればそれでいいと思います。
もし、家族であってもお互いの許容できる範疇を超えて、相手が「一般常識の欠如」した干渉をしてくるのであれば、じっくり話し合いをし、それでも解決できない場合は、信頼できる公的機関・施設(地元の役所のカウンセラーなど)にご相談されたらよいかと思います。


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