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TLCCC長老たちの信仰の態

7niho:2004/03/24(水) 13:37 ID:3upBukPc
九州のK「長老」は、Aを完全に「神が立てた使徒」と思い込んでいます。
私が'98年に彼と会話をした時のこと、私は「主の十字架の中で、各々の信仰(の中での判断)で長老を長老と認めるのだと思います。」(私は、各々の方がAやKを「長老」や「使徒」と思わなくても、それはそれで救いと祝福の道には何の変わりもないからそれで良い、と思っていました。)と言ったところ、K「長老」はかなり強く否定した記憶があります。つまりKにとってAは世界の誰にとっても使徒である「普遍的使徒」なのだと、今考えると思えます。そして、K自らも神に立てられたので神のためにAと共にその使命を全うするために、自分はその権威を使う、と考えていた、と思います。それらは今も変わらず、Aが聖書や「神の示し」を語る時、Kはそれを絶対化して受け取ると思います。しかしその受け取り方は、恐らくAはコミュニケーションを省き詳しい説明をしないので、「示し」の内容の字面だけをKは受け取っている状態だと思います。その「字面」を絶対化して常識を超えた権威ある「字面」とし、異常な執着心(「命がけ」との言葉をよく使って)をもって長老権威として九州の牧師や教会にその「字面」を説教しています。これは、私が97年12月に九州に異動時にも強く感じたことです。預言や示しの運用方法が全く間違っていると。「いくら長老が言っても間違いを含むことはあるので、神に従え。長老が示されたと言ったことでも、自分が示されないなら動かない。」これが私の当時の認識でしたし、当時の関東牧師会でAが言っていたことでした。(しかし裏では笹井社長らへの不当な扱いがありました。これもAの「示し」への執着や偶発的な出来事を「神の摂理」と思い込む姿勢、コミュニケーション能力の欠如が原因と言えると思います。)しかし、Kは「長老の言葉には神の権威がある」との一点張りでした。

>>3
>>A氏はちっともおかしくないと思っている…。
>
> これは,本当にそうなんでしょうか? 私は,バルティアンであり,人間の理性とか良識とか言うものに
>は否定的です。
> しかし,人間は,神に似たものとして想像されたわけで,そこまで,腐っている人間っているのでしょう
>か?

A氏の場合、前も書きましたが、彼の示されたと思っているビジョンに合う「超自然的な事」への期待や、それに対して都合の良い偶発事が起こる「法則性」を信じ、今も事象の勝手な解釈によってその法則の継続の実を見ており、自分達は神に肯定されていると認識していると思います。(虹の出現や偶然の出会い、映画の内容を示しと捉えたこと、元々傷のある人がAに受容されてAの主張に沿って「悔い改めた」こと、非難を受けて感謝して踊ったことなどはその現われと思います。)ビジョンの実行のために現実的視点や常識レベルの人への愛を欠いた状態です。それは人としてのバランスを欠いた人格の状態と言え、その上で「神の示し」への過度の執着をしているのです。それを彼ら長老や従う方々は信仰のあるべき態と認識しているようです。(私の論拠は、既にネット上に書かれたり、出てきている長老の行動、九州で体験した事です。)
そのような「カルト的思い込み」は、どんなに批判があっても「彼らにとっての決定的な否定(神からの否定でしょうか)」がない限り、「命がけ」で継続される可能性があります。これだけの指摘を受けても動じないほど「命がけ」で信じきっていますから。
私は、「現実的視点や常識レベルの人への愛を欠いた状態での示しへの執着」の原因について、論議する必要があると思います。なぜ、彼らは普通に人がもつ常識や愛を捨てたのか、です。


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