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TLCCC長老たちの信仰の態

10にほ:2004/07/13(火) 19:11 ID:rYdrWbR6

6/23イギリスの新聞インディペンデントに、複数のイスラエルの元兵士のコメントが載ったそうです。彼らの一人は、異常だった18歳当時の兵士心理をこう書いているとのことです。

―-イスラエル国防軍の制服を着て、銃を持ち、銃弾を込め撃鉄を起こして、立つと、自分の命令に逆らう人間がバカに見えてくる。こっちはいつでも撃てる、台座で殴ってやろうか、と。司令官も「ようやくまともなことができるようになった」と言うだろう。自分は子供で、生きることについて知らないが、制服と銃で、決意ができている。――

長老たちのことが、それに重なって見えます。
「自分は、神の声を聞いて、神の言葉と行くべき道を宣言している。抵抗しても、神が手を下す。」と彼らは言います。
TLCCCの初期は、皆自信がなく、メッセージも不信仰と言われてしまうような弱々しいものでした。
彼らが強くなったのは、「神の言葉は剣で、力がある。宣言することで、悪霊の覆いを砕き、聖霊が働き、人の心に届く」との教えがあったからでした。それに加えて、使命感を鼓舞されたり、『神のことばを止めるのは、不服従』との教えもあり、自分の思いを否定して突っ走るように仕向けられました。結果、まともな思考力もなくなったのです。牧師・神学生・奉仕者は、自分で一つ一つ考え、納得するというプロセスが許されない、という環境になって行きました。

主のため、リバイバルのためと、自分を無にすることを教える教えには、そのような落とし穴があることを、悟る必要があります。
世にある人間性を否定するものの一つに過ぎない、あまりにも人間的な落とし穴なのですが、いくら教会が熱心でも、聖書の熟読がされていても、防ぐことができませんでした。この事実をしっかり学習することは、健全な人間の知恵だろうと思っています。

本当のリバイバルとは、人の内面に深く悔い改めと、良い実を結ぶはずです。それも個人個人に個別にです。決して誰かの言うことに心酔したり、他人に起った奇跡を追い求めるものではないはずです。


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