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なにかできないのか・四日市教会の問題について

4PS:2004/01/10(土) 03:03 ID:Brp2TfKk
神は侮られる方ではありません。ご自身の栄光を誰にも渡されない方であるからこそ神により頼む事が出来ます。
主の御名によって油注がれた者が主の御名を侮るような事をして放置されておられるような神であるなら信頼する価値はありません。敬う必要もない。神は悔い改めに進む様、主の御名によって御心に叶うものを送られています。サウルが悔い改めたならば油そそぎが途絶えたでしょうか。
ダビデが主の前に灯火を受け続けられたのは罪を犯さなかったからではないと思います。罪を示されたときに御心に叶う悔いあらためをしたからだと思います。
サウルは悔い改めたように見えて、次に神が語られたときの従い方を見るといい加減です。悔い改めが徹底していないのを見ます。主は心をご覧になると言われています。
また、祝福あれ、主の御名によって来られる方にとあなた方が言うまでは決してわたしを見ることがないと、頑なに悔い改めない者に向かってイエスは言われました。
誤りを指摘し、御心にかなう方向へと働きかけをする者を侮ってどのような祝福があるのでしょうか。
誤りを知っていながら指摘せず、覆い隠すようなものに神はどのようにいっておられますでしょうか。その者の血の責任をあなたに問うと預言書で言われています。
言うに時があり主に従ってなされなければならないし、油注ぎを受けた者に対する姿勢をもってなされなければならないと思いますが。
四日市教会のために何かできないのかという事ですが、祈り導かれる事をするのが一番ではないでしょうか。神は肉から出たものを受け取られません。全能者ですから用いられる事はあると思いますが。
殆ど仁保さんと同じ意見ですが、神の御心を求め従われるのが神の望んでおられることと存じます。


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