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人は弱いので何でも嵩に着たがりますが…
1
:
にほ
:2003/11/28(金) 18:35 ID:eP/zVCaA
人は弱いので何でも嵩に着たがりますが…それでは繊細さ敏感さをスポイルしてしまいます。
生きることへの生(なま)の感覚が失われて、人は成長するのでしょうか?
権威や奉仕・聞き従いへの自意識、福音派にしてもカトリックにしてもその立場と信仰への自意識…
私は福音派出身ですから、その過去を考えると、「自分はこの世の者とは違う」ということをかなり人間的に意識していたことを思います。
そしてその時、人の痛みが分からなくなっていました。
…クリスチャンになれば全ては益になる。そのうち人は皆キリストを信じる。そしたら皆痛みから解放される…
そんなことを考えながら、出会う人たちの思い・個性・感じ方など、一切想わず、今は皆罪人だからそんな相手を分かる必要は無い、皆金に任せて幸せそうにしているが実際は不幸せだ、皆そのままでは地獄へ行くなどど考えていました。
私は弱さで「救い」を嵩に着ていました。
痛むことを恐れたため、人を愛することを避け、ただ「四つの法則」を差し出し説明していたあの頃と、主の十字架の今の状況が、私には重なるのです。
私は「一匹の羊のために」の心を忘れたくないと思っています。
クリスチャンであるとは、様々な痛みに答えがあるということを知っているということなのではないかと思うのです。
人生決して痛みは避けられないが、そこにキリストが居てくれ、自分の成長がある…それが希望です。
みなさんはどう思われるでしょう?
癒し、奇跡、御声への従いがあれば、痛みが無くなるとなんとなく思ってませんでしたか?
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