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時事問題深読みスレPart2
163
:
凡人
:2021/04/22(木) 21:30:12 ID:GkhSRDuE0
太平洋戦争(大東亜戦争)における日米戦闘後の損害比較と戦闘技術開発競争。
当時は日本政府や軍部がマスメディアを掌握、プロバガンダにより、日本国民には真実の報道がなされず、戦局の悪化が目にみえる頃は別として、誰もが日本の勝利を信じていただろう。
1941年12月8日、山本五十六を司令長官とし、大日本帝国連合艦隊がハワイ・真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃した。日本側は空母6隻、航空機約350機などからなる機動部隊が参加。 米軍艦6隻が撃沈し、アメリカ兵約2400人が亡くなった。 日本側の損害は航空機29機、死者64人。日本軍の闇討ちにより、多くのアメリカ兵は銃を取り上げて応戦することなく、軍艦とともに運命を共にし、海中に沈んでいった。
大日本帝国海軍が攻勢をかけたミッドウェー戦で、それを待ち構えていたアメリカ太平洋艦隊。その投入した日本側の戦力は2対一でアメリカ海軍を圧倒していた。アメリカのヒストリーチャンネルが制作したシリーズのビデオで告げている。守勢とはいえ、アメリカ海軍は真珠湾奇襲攻撃に参加した日本帝国海軍の6つ空母のうち、4つの主力空母を沈没した。そして搭載機すべてと熟練パイロットを失った日本側。日本海軍が被った大打撃により、太平洋での覇権奪取に失敗。作戦変更を余儀なくされる。ミッドウェー海戦の日本側の死者3064名,米国側の死者363名。
次のバトルグラウンドはガダルカナル島沖の海戦。アメリカ軍は日本軍が占領し、飛行場建設中のガダルカナル島を1942年(昭和17年)に上陸し奪取に成功。アメリカ軍が日本軍の戦いで初めての攻勢となる。日本軍によるオーストラリア攻撃の戦略的基地化を食い止めた。そしてアメリカ軍のへンダーソン飛行場となる。この飛行場をめぐってそれから日本軍がいくどとなく奪回を企てるが失敗に終わる。そのビデオでその6か月間の攻防戦での両者の損害を数値で教えてくれる。アメリカ軍側は29軍艦、600の戦闘機を失い、戦死者7000人、それに比べ日本軍側は38の軍艦、800の戦闘機を失い、戦死者は30000人。日本軍の死者の数がミッドウェー戦と同様に飛びぬけている。日本側の戦闘の目的はガダルカナル島飛行場の占領だったが、その目的のために莫大な損害を出していたため、日本軍が作戦を取りやめた。
レイテ沖海戦(1944年10月)。日米交戦も3年目に入ると戦力の上で、アメリカ軍は日本軍を圧倒する。その損害状況を比較すると、アメリカ側は軽空母1,護衛空母2、駆逐艦2,駆逐艦護衛2、海兵や航空隊員1500人失う。日本側は空母4,戦艦3、駆逐艦11、巡洋艦10、水兵やパイロット14000人。これも戦死者の数の差がとても気になる。
トリビア:面白いのは、日米開戦からわずか一年あまりで、大本営の杜撰な戦術により、
真珠湾奇襲攻撃に加わった熟練されたパイロットの先鋭部隊が失われた。一方アメリカ軍は当初は民間人の志願兵(シチズン・ソールジャー)が戦争突入の一、2年間は大半をしめていたが、2・3年後は軍人学校出身が大半をしめる。戦闘の2年間はゼロ戦闘機が空中戦で圧倒的な強さをみせたが、その後アメリカ軍はF6Fヘルキャット戦闘機を開発。火力や速度でゼロを空中戦で圧倒するようになる。ミッドウェー海戦で天皇軍との交戦でヨークタウンが沈没し、ホーネットがサンタクルーズ諸島沖海戦で沈没すると、アメリカ太平洋艦隊の航空母艦はエンタープライズただ一つとなる。たびたび戦闘でダメージを受けるが、ドッグにはいり修理をするたびにメンタープライズは新しく開発された対空ガンを装備、F6Fヘルキャット戦闘機搭載されると最強の航空母艦になり、日本軍の大きな脅威になった。レーダーを使って夜間飛行襲撃が可能になり、24時間フルで攻撃できるようになった。戦争終盤になると戦闘機に搭載する高性能のハイ・ベロシテイ・ロケットも開発された。一方日本が発明したものは神風特攻隊。
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