したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

時事問題深読みスレPart2

159凡人:2021/04/19(月) 07:36:31 ID:GkhSRDuE0
また、ハワイとミッドウェーの中間海域に十一隻の潜水艦を配置したが、ハワイを出撃した米機動部隊は、すでにそこを通過してミッドウェー北東海域に進出した後だったため、なんの情報も得られなかった。

ところが、米海軍は日本海軍の暗号書をほとんど解読し、全力をもって反撃態勢を整えていた。「エンタープライズ」「ホーネット」「ヨークタウン」、三隻の空母を中心とする米機動部隊が、日本艦隊を虎視眈々と待ち構えていたのだ。

それでも、戦力において勝る日本艦隊は、戦いようによっては勝てたかも知れない。しかし、過信、慢心で緩んだ作戦には、あちこちに綻びの種が潜んでいた。

一つは、6月4日、機動部隊のはるか後方を航行中の、山本五十六聯合艦隊司令長官座乗の旗艦、戦艦「大和」で、敵空母らしい呼出符号の電波を傍受しながら、先任参謀・黒島亀人大佐が、「機動部隊の『赤城』でもこれを傍受しているだろう」と握りつぶし、機動部隊に伝えなかったこと。じっさいは、機動部隊ではこの敵電波をとっていなかった。

もう一つは、作戦の目的が「ミッドウェー島の攻撃・攻略」か「米艦隊の誘出・撃滅」かということが、出撃した部隊に徹底されていなかったこと。6月5日、ミッドウェー島攻撃に出撃した攻撃隊指揮官・友永丈市大尉は、戦果が不十分と見て「第二次攻撃の要あり」と打電、機動部隊もそれに応じて、米艦隊攻撃のために準備していた第二次攻撃隊の魚雷を爆弾に、通常爆弾は陸用爆弾に、転換する騒ぎとなった。これは、作戦目的が明確にされていれば避けられたはずの事態だった。

ー敵発見の遅れを、罪なき索敵機に追わせた参謀ー
次に、索敵と情報の分析。

当初の予定では、空母に搭載される九七式艦上攻撃機のうち十機を索敵に回し、二段索敵(索敵機を間隔を置いて二回に分け、同じ索敵コースを重複して飛ばせる)の万全の態勢で臨むはずだったが、機動部隊司令部の状況判断の甘さから、索敵機の機数を大幅に減らしてしまっていた。

空母「赤城」「加賀」と第八戦隊の巡洋艦「利根」「筑摩」、戦艦「榛名」から出した索敵機は七機(うち九七艦攻二機)、一段索敵で七本の索敵線である。これではあまりにも少なかったし、索敵機の発進は対潜哨戒機を出した後のことで、付近に敵空母は存在しないという先入観にとらわれていたと言われても仕方のない生ぬるさであった。

その上、各索敵線で発進が遅れがちになり、特に重巡「利根」四号機(零式水上偵察機、機長・甘利洋司一飛曹)の発進は30分も遅れてしまう。

『ミッドウェー』には、
〈利根機の発進三十分の遅延は、はからずもここに本海戦失敗の致命的原因を潜めたのである。〉とある。

しかしその、遅れて発進した四番索敵線の利根四号機が、予定索敵線から北に150浬(約278キロ)もはずれた方角で、十隻の「敵らしきもの」を発見した。

〈「敵らしきもの一〇隻見ゆ。ミッドウェーよりの方位一〇度二四〇浬、針路一五〇度、速力二十ノット、〇四二八(注:午前4時28分、日本時間)」
南雲中将をはじめ司令部の人々は愕然とした。(中略)
「敵らしきもの十隻、とはなんだろう」
と、参謀たちは首をひねった〉(『ミッドウェー』より)

さらに約一時間後、粘り強く触接(しょくせつ)を続けた同機はついに「敵空母らしきもの」一隻の発見を報じてきた。この期におよんでなお、司令部では、

〈それでも、なお「らしき」ときているので、ほんとに空母がいるのかなあと、半信半疑の割り切れない思いを抱いている。〉

と、『ミッドウェー』には記されている。あたかも、甘利機の索敵報告に不備があり、それが司令部の判断を遅らせたと言わんばかりの書き方である。

「冗談じゃない、『らしきもの』という表現は、暗号書に正式に記載されている信号文ですよ。確認しているうちに撃墜されたら元も子もないので、敵らしきものを発見したらまずそう通報するように、偵察員は教育されている。『まず第一報を入れよ、その解釈は司令部が考える』というのが、洋上索敵の大前提なんです」と、憤りをあらわにしたのは、このとき、空母「加賀」から発進した索敵機、九七艦攻の機長だった吉野治男さん(当時・一飛曹、のち少尉)である。
2/5


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板