したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

時事問題深読みスレPart2

154凡人:2021/04/18(日) 09:52:21 ID:GkhSRDuE0
第2次世界大戦によって人命を失った犠牲者の数は民間人も含め日本人が圧倒的に大きいことは資料が教えてくれる。記憶が正しければ、ロシアの犠牲者も数が多い。戦死者たちを数値で表すのは簡単だが、その一人一人には死に至るまでの物語がある。日本政府からの徴兵命令で愛する人から、または家族たちから引き裂かれ、戦地前線に兵隊として送られた若者たち。再会ばかりか、二度と祖国の土を踏めないなどとは想像だにしていなかったに違いない。有力者や裕福な家庭の子弟は海外留学で徴兵を逃れたと聞く。数知れなく、玉砕していった名もなき日本兵たち。進退窮まった部隊が天皇陛下万歳と雄叫びを上げて敵の機関銃に向かって突っ込む自殺的な突撃もよく見受けられたという。生きたいけれども、絶対命令で神風で戦死した報われない若者たちもいた。連合国軍が上陸し、沖縄が戦地となった戦争末期。民間人である沖縄住民が日本軍に駆り出され、または自決を迫られたりもしたようだ。母親が乳飲み子を抱いて、海に飛び込み自決する場面がビデオに収められているが、涙なしには見ることができない。戦死をのがれた有名な帰還兵こと横井庄一がいる。彼は終戦を知らずグアムのジャングルに潜伏し、そこで28年間生きのびた。また終戦から29年を経て、フィリピン・ルバング島から帰還した小野田 寛郎もいる。その彼はなんと島民を30人以上殺害したと証言している。先の横井庄一も島民を殺害した疑いが持たれている。犠牲者は民間人である。子供だったりする。こういう話を読んだり聞いたりするたびに、大東亜戦争は日本が西欧の支配からのアジア諸国解放のために起した戦争だなんていう言い訳は嘘八百としか思えない。南方の島々に守備隊として配置された日本兵は戦闘で死ななくても、病死や餓死。むしろ、それがほとんどとも聞く。日本軍は捕虜になることを厳しく禁じていたため、食料も武器もなく追い詰められた兵士たちは自決を選んだ者も多い。

一億総カルト国・日本

プロバガンダと伝統主義を頑強に貫き、軍国主義の警察国家を創り出し、国民を一億総カルト軍団に落とし入れた天皇主義政府の罪は重い。日本では合理的に考える能力がそもそもないか、またはその歴史過程で失なわれていくのだろうと理解する。

「日本守備隊の倍の兵力をもってサイパン島をはじめとしたマリアナ諸島を侵攻するアメリカ軍に対し、装備や食料も不十分だった日本兵は最後まで死闘を繰り広げて徹底抗戦を行ったが、既に制空権、制海権を失っており、マリアナ沖海戦とサイパンの戦いをはじめとするマリアナ・パラオ諸島の戦いで大敗を喫してマリアナ諸島を失ったことによって、攻勢のための布石は無意味となり、日本は防戦一方となった。絶対国防圏が破られたことによって、敗戦はほぼ時間の問題となり、1944年7月18日、東條英機はその責任を取り内閣総理大臣を辞職。同時に東条英機は内閣総理大臣就任以前から務めていた陸軍大臣も続けて辞職した。以後、サイパン島に隣接するテニアン島を主な出撃地とするB-29による本土空襲が開始される。この時点でも国内世論は徹底抗戦論が強く、敗戦がほぼ決定的になっても停戦交渉を始められなかった事が原爆投下に繋がったと度々指摘されている。」(ウィキ) 
5/5


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板