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時事問題深読みスレPart2

152凡人:2021/04/18(日) 09:46:54 ID:GkhSRDuE0
海戦直後の混乱や作戦後の被害秘匿のための特殊な人事処理で、海戦直後の資料は不正確。第一航空艦隊が6月12日に行った報告では、第一航空戦隊、第二航空戦隊で、戦闘機45名、艦上爆撃機51組、艦上攻撃機57組が残存となっている。内地に帰還したのちに作成された第一航空艦隊戦闘詳報では消耗52組となっている。

6月10日の大本営発表は「空母エンタープライズ型1隻、ホーネット型1隻撃沈。米軍機120機。日本軍損害 空母1隻喪失、巡洋艦1隻大破、35機喪失」、6月18日の大本営発表で「空母1隻撃沈を取り消し、大破認定。巡洋艦1隻、潜水艦1隻撃沈」と訂正発表した。南雲機動部隊の戦闘詳報では、エンタープライズ型空母2隻撃沈、サンフランシスコ型大巡1隻大破、米軍機173機撃墜である。

アメリカ軍側:
沈没:航空母艦:ヨークタウン、駆逐艦:ハムマン
航空機:基地航空隊を含め、約150機を喪失。この数字には修理不能の損傷を受けた機も含まれる]。
戦死:
空母ヨークタウン86名(航空搭乗員含む)、空母ホーネット53名、空母エンタープライズ44名、駆逐艦ハムマン84名、駆逐艦ベンハム1名、ミッドウェー基地46名。合計362名(航空搭乗員208名、基地・艦乗組員154名) 。高級士官の戦死は無かった
日本の誤魔化は伝統。

「この作戦後、山本連合艦隊長官やその幕僚の責任は問われず、一航艦も長官南雲忠一、参謀長草鹿龍之介は一航艦の後継である第三艦隊の指揮をそのまま受け継いだ。しかし、それ以外の一航艦の幕僚は全て降ろされ、また士官も転出させられた(一航艦航空参謀吉岡忠一はミッドウェー海戦の資料作成のためしばらく残留した)。

開戦時山本長官は「日本は開戦から半年、もって1年は優勢を維持できるが、それ以降はアメリカ(と連合軍)の国力が日本を圧倒する」と述べ、短期決戦早期講和を目指していたが、当作戦の失敗、大敗北により発言力を失い、また実質短期決戦は不可能となったため、軍令部、大本営は長期戦を主軸とした戦略への転換せざるを得なくなった。ミッドウェー海戦直後の参謀本部への説明の中でも、軍令部は「主力空母が2隻(翔鶴、瑞鶴)では守勢の外はない」と述べている。しかし国力で圧倒される以前に、戦略、戦術、用兵など全ての拙劣さにより喫した敗北だったにも拘らず、事後に作戦戦訓研究会は開かれず、国民にもこの敗北は伝えられなかった。唯一上記のように参謀本部(陸軍)に対してのみ迅速に伝えられ、ミッドウェー海戦の実態については海軍内はもとより陸軍内でも情報統制がなされた。これは前陸相の畑俊六にさえも真相は伝えられていなかったほどである」ウィキ

それによって太平洋における帝国海軍の進撃の息の根が止められた。その後アメリカ軍の目は日本南方の島々へ移り、占領する日本軍の一掃へと動いた。マリアナ沖海戦後、グアム・サイパン、ペリリュー、硫黄、そして沖縄へ。
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