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時事問題深読みスレPart2

151凡人:2021/04/18(日) 09:43:04 ID:GkhSRDuE0
アメリカはヨーロッパ戦線でナチスドイツと戦い、また太平洋戦線では日本天皇軍と戦っていた。ナチスドイツ軍はイギリスを除き陸続きで、他の連合国軍と戦っていた。ノルマンディー上陸で西からアメリカ軍が、東からソビエト軍が競争しながら、ドイツに向かって攻め込んでいた。意外と勝負は早くついた。それとくらべて日本は島国。海によって守られる幸運に恵まれていた。

戦争初期、大本営が「暴支膺懲!我が帝国陸軍は中国大陸で破竹の快進撃!」と日本国民にプロパガンダしていた。短期間にみるみると中国大陸の占領地を拡大できた本当の理由は毛沢東の戦術にある。長期戦でゲリラ戦術を採用し、火力でよわい中国軍は日本軍とは交戦を避けた。日本軍が攻めてくる前に、原住民とともに家屋田畑を捨て、西へむけて逃げる作戦をとったためだ。ドイツがロシアに侵攻した際にとったソビエト軍の戦略に似ている。だから日本軍は戦わずにして土地を占領。その結果、中国の巨大な大陸に、広く薄く散らばることになった日本兵。食料や物資も維持なしで長期戦で、占領地を維持確保などできる見込みなどある訳がない。中国大陸でも勝利は幻想であった。

太平洋の海上では、帝国日本の軍事力の看板ともいうべき世界に誇る海軍の艦隊がある。連合艦隊の旗艦、戦艦大和や武蔵の巨大戦艦と空母と搭載機としての性能の高いゼロ戦闘機。無敵と思われた。それに対抗したのがアメリカ海軍の太平洋艦隊。開戦の火蓋を切った真珠湾奇襲攻撃で、壊滅的打撃を受けてから、戦艦を新たに造り艦隊を再構築。この両者がミッドウェー沖で全面対決した。ミッドウェー海戦と呼ばれ、太平洋の覇権をめぐって戦われた。1942年(昭和17年)6月5日から7日までの戦闘期間を指す。アメリカ海軍は暗号から帝国海軍の主力艦隊の動きを察していた。日本艦隊を迎え撃つために、太平洋艦隊を派遣したのであった。どちらの陣営も正確な敵陣の位置を手探りして戦闘が始められた。ところが戦闘が始まると以外に短時間で、勝負がついた。日本帝国が誇る日本の主力艦隊が壊滅した。

*武蔵は1944年のレイテ沖海戦で米軍との壮絶な戦闘の末、撃沈
*戦艦大和は1945年(昭和20)4月7日、戦艦大和が、多数の米軍機によって、鹿児島県の坊岬沖で撃沈

真珠湾奇襲に参加した6航空母艦の内の4つである「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の沈没。空中戦のため飛行していた戦闘機も燃料尽き、戻る場所がなく、次々と機体が海に飲まれて行った。日本海軍の投入した空母4隻とその搭載機約290機の全てを喪失した。
ーミッドウェー戦での結果報告ー

戦闘態勢に入った両者の戦力は共に同程度と考えられているが、戦争結果をみると大きな違いだ。日本軍とアメリカ軍の損害の比較があるので次にコピペする。

日本軍側:
沈没:航空母艦:赤城267名(航空搭乗員含む)、加賀 811名、蒼龍 711名、飛龍 392名(米軍救助者含まず) 重巡洋艦:三隈700名
損傷:重巡洋艦:最上92名、駆逐艦:荒潮
航空機:喪失艦載機289機(内、21機はミッドウェー配備予定の第六航空隊。水偵4機)この中には「十二試艦爆」を含む。
戦死:
山口多聞少将(戦死後中将に特進)
岡田次作大佐(戦死後少将に特進)
柳本柳作大佐(戦死後少将に特進)
加来止男大佐(戦死後少将に特進)
崎山釈夫大佐(戦死後少将に特進)
上記の沈没・損傷艦の他、筑摩の航空搭乗員3名、利根の航空搭乗員2名、駆逐艦谷風11名、朝潮21名、荒潮35名、嵐1名、風雲1名、給油艦あけぼの丸10名が戦死した。総計3,057名を失い、その中に加賀の飛行隊長:楠美正少佐(戦死後中佐に一階級特進)、飛龍の飛行隊長:友永丈市大尉(戦死後中佐に二階級特進)ら110名の空母艦載機搭乗員を含む。各母艦別の搭乗員損失は、赤城7名(艦戦4、艦爆1、艦攻2)、加賀21名(艦戦6、艦爆6、艦攻9)、蒼龍10名(艦戦4、艦爆1、艦攻5)、飛龍72名(艦戦11、艦爆27、艦攻34) 。搭乗員損失率は反撃した飛龍が最多。空母上でアメリカ軍機空襲とその後の誘爆により戦死した搭乗員は赤城4名、加賀13名、蒼龍4名、飛龍8名である。
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