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高崎がわかるプログ・サイトPart3

367凡人:2017/10/14(土) 18:51:11 ID:R.OzoZ.k0
ブルーノ・タウト
ドイツ建築家、戦前に高崎で工芸運動 元助手遺族、関係資料を譲渡 スケッチなど1700点 /群馬
毎日新聞2017年10月14日 地方版

 ドイツの建築家で、戦前に高崎市で工芸運動に携わったブルーノ・タウト(1890〜1938年)の生前のスケッチなど関係資料約1700点が、元助手の遺族から「ブルーノ・タウトの会」(原浩一郎会長)に譲渡された。会は今後、資料を適切に保管、活用できる所蔵先を探すという。

 譲渡された資料は、タウトが描いた工芸品のスケッチや自筆の手紙、書籍など。これらは、タウトが高崎滞在中に、助手として工芸品製図や制作などにも携わった水原徳言(みはらよしゆき)さん(1911〜2009年)が引き取って保存していた。

 会の副会長で、タウト研究家の大木紀元さんは「タウトという人が高崎にいて、こういう物を残したということを示す『文化遺産』。散逸させてはいけない」と評価。原会長も「お任せいただいてありがたい。きちんと保存できるよう、責任を持って取り組む」と話している。

 タウトは、1932年にソ連(現ロシア)に招かれ、都市計画に関わったことから、ナチスににらまれ、翌33年5月、ドイツから逃げるようにして来日。桂離宮など日本建築のすばらしさを世界に知らせた。

 高崎市の実業家、井上房一郎さん(1898〜1993年)が、工芸デザインの指導者として34年8月に高崎に招いた。以後、トルコの大学教授に招かれて高崎を去る36年10月までの2年3カ月を少林山達磨寺(高崎市鼻高町)の境内にある「洗心亭」で暮らした。

 水原さんは当時、井上さんの工房のスタッフで、高崎市宮元町の頼政神社境内にある内村鑑三記念碑の設計者としても知られている。【増田勝彦】


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