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高崎がわかるプログ・サイトPart3

338凡人:2017/10/06(金) 19:42:51 ID:R.OzoZ.k0
だるま弁当 もうすぐ60年 かつては瀬戸物、今は貯金箱
更新日時:2017年8月11日(金) AM 06:00 Jomo

 だるまをかたどったプラスチック製の赤い容器。その姿を一度は目にし、手にしたことがある人は多いだろう。群馬県の高崎弁当(高崎市倉賀野町)が手掛ける「だるま弁当」は、発売からもうすぐ60年を迎える。見た目のインパクトだけでなく、旅人のお腹を満たしてきた駅弁は、時流に乗って進化を続けている。(和田亮介)

◎なじみの赤い駅弁 普茶料理風で滋味
 本社工場内のベルトコンベヤーに、なじみの赤い容器が次々と流れてくる。従業員は一列に並び、手際よく具材を盛り付ける。最後にだるまの顔がデザインされたふたをかぶせ、包装すれば完成だ。

 だるま弁当(1個1000円)は不動の人気商品で、月に1万2000〜1万3000個を出荷する。夏休みから秋の行楽シーズンにかけての今の時期が、一年のうちで最も忙しくなるという。

 この弁当が登場したのは1960年のこと。少林山達磨寺(高崎市鼻高町)の「だるま市」で有名だった縁起物のだるまにあやかろうと販売を始めた。発売当初はややこわもての達磨大使のデザインで、瀬戸物の容器を使っていた。

 当時の駅弁販売は、販売員が肩から提げた箱にたくさんの弁当を積んでホームに立ち、列車が到着するたびに車窓越しに乗客に手渡していた。

■熱を逃がす穴
 72年に入社し、長年にわたり製造部門を担当してきた佐藤文雄さん(68)は当時の忙しさを鮮明に覚えている。機械は無かったため、おかずの仕込みなど何から何まで手作業だった。「本当によく売れたから、販売員に『早く作ってくれ、もっと作ってくれ』とハッパを掛けられて、製造現場はものすごい熱気だった」

 ただ問題があった。瀬戸物の容器は重くて、「ぎっくり腰になる販売員もいた」(佐藤さん)。持ち運びに不便な上、割れやすいといった難点もあった。

 そこで73年、大きさや形など何種類も試作を重ね、現在でも使用されている赤いプラスチック製の容器に“衣替え”した。瀬戸物よりプラスチックの方が高価だった時代に、販売員と消費者双方の要望に応えるために大きな決断をした。

 容器をよく見ると、だるまの口の形に添って穴が開いている。これには意味がある。「食品衛生上、密封した時、中にこもる熱気を逃がす必要があった。そのための穴です」。取締役総務部長の木暮敏さん(57)は説明する。

 額部分にも二つの小さな丸い穴がある。これも同じ目的だ。ちなみに、こうした蒸れを防ぐ穴は瀬戸物の容器の時にも設けられていた。
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