したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

高崎がわかるプログ・サイトPart3

300凡人:2017/09/27(水) 06:05:29 ID:R.OzoZ.k0
老舗あり「高崎電気館」 昭和の映画熱伝える聖地
2017.5.8 10:00 産経

写真=座席は256席。シートカバーは閉館前のまま。地元企業などの広告となっているが今では存在しない会社も多い

 かつて花街だった群馬県高崎市柳川町に、今も昭和の薫りを漂わせる映画館がある。「高崎電気館」。床材がところどころ剥がれた階段を上ると、ロビーには鈍く光る35ミリ映写機が置かれている。地上4階、地下1階の建物は3代目。浅草をはじめ、全国に誕生した電気館のひとつで、創業から百年以上が経つ。

 「映画を見たけりゃ高崎電気館」と言われるほど市民に親しまれてきた劇場だが、平成13年に転機が訪れる。前年に2代目経営者の広瀬正和さんが病に倒れ、閉館を余儀なくされてしまったのだ。

 「本当に寂しかった。小学生のころ、親に連れられ映画を見た後は食事をすることがよくあった。電気館は生活に根付いていた。建物が残り、上映を続けてくれたことは地元にとってありがたいこと。いずれレガシー(遺産)になると期待したい」。柳川町東部町内会区長の小林章さん(70)はしみじみと語った。

 建物を守り続けたのが正和さんの妻、公子さん。正和さんは16年に亡くなったが、「おじいちゃん(創業者の広瀬保治さん)と主人の劇場への愛情を思うと売ることは全く考えなかった」と振り返る。「特に主人は幼い頃から劇場を遊び場にし、入院中も劇場の様子を気にかけていた」。閉館後にも空気の入れ替えや片付けなどメンテナンスに気を配った。訪れた映画人たちも保存状態の良さに驚くほどだった。

 ちょうど100周年にあたる25年、2日間限りの「電気館復活祭」が行われた。地方オーケストラの草分け、群馬交響楽団創成期を描いた今井正監督の作品「ここに泉あり」などが上映された。「久しぶりに映写機の回る音を耳にして、ああ残したいと強く思った」と公子さん。暮れには市に建物と土地の寄付を申し出た。「高崎電気館の名前を残し、映画館として活用すること」が条件だった。26年10月、1階は研修室や集会室などから成る地域活性センター、2階は高崎電気館として再始動した。映画監督を夢見たこともあるという同市の富岡賢治市長は「映画のある街・高崎をアピールしていきたい。高崎電気館は高崎の映画関係者の拠点とする」と語気を強めた。運営は、NPO法人「たかさきコミュニティシネマ」に委託された。昭和62年、高崎映画祭が誕生、その会場のひとつになった。

 「高崎電気館は聖地。その運営を任されたことは、うれしいの一言だった」と同法人代表理事の志尾睦子さん(42)は話す。当初は土日だけと考えていた上映は、月に2週間になった。「客層は映画の隆盛期を知る方が中心だが、最近は若い人たちも」と志尾さんは柔らかい笑みをみせた。

(前橋支局 椎名高志)

     ◇

 地元とともに歴史を重ねてきた各地の老舗施設、店舗などを紹介します。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板