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群馬県民スレPart3

544凡人:2017/08/30(水) 08:37:19 ID:wzsumdGA0
厳格な差別社会であった明治で、他階級出身との交流はとても限られていたであろう。下層階級の女性労働者が圧倒的であった当時に、旧士族の娘を中心としたわずか450〜460人の女性労働者が果たした役割とは?学問的意義というよりも、ユネスコの勧告での研究。いずれにしても、仕事がもらえるということは学者冥利に尽きますね、そこのお父さん。
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製糸場工女らの実態解明 富岡市が研究委 31年春まで報告書
2017.8.30 07:02 産経

 富岡市は、富岡製糸場で働いていた女性労働者の実態を解明する「富岡製糸場女性労働環境等研究委員会」(委員長・鈴木淳東京大学大学院教授)を立ち上げた。世界遺産登録された際、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会からの勧告に対応するもので、平成31年3月には報告書をまとめる。

 勧告は「フランスからの、あるいは国内の女性たちが指導者及び労働者としての役割を果たしたことによる専門技術の移転についての調査を行うこと。また、労働者の労働・社会的境遇についての知見を増すこと」とされた。

 研究委は有識者7人で構成し、明治5年の操業開始から昭和62年の停止までの115年間について女性労働者の働きぶりや生活環境、福利厚生制度、製糸技術の移転・革新での女性労働者の役割などを研究する。今年度と来年度2回ずつの会合を開く予定で、来年3月には中間報告を公表する。

 研究委メンバーでもある今井幹夫富岡製糸場総合研究センター所長によると、日本初の官営模範工場としてスタートした当時、女性労働者は工女と称され450〜460人を数えた。旧士族の娘などが全国から集まり、製糸場で学んだ技術を出身地で指導する役割を担うなど高い教養や指導力などが必要とされたという。だが、民営化に伴い実態は不明となっているだけに、今井所長は「できるだけ資料を収集し、実像を明らかにし、果たした役割を研究していきたい」と意気込んでいた。


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