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群馬県民スレPart3
458
:
凡人
:2017/04/03(月) 09:01:17 ID:zq0qT2Q.0
SUBARU 世界へさらに飛躍 群馬製作所で社名変更式典
2017年4月3日(月) AM 06:00 上毛
群馬県に国内唯一の自動車生産拠点があるSUBARU(スバル、東京都渋谷区、吉永泰之社長)は2日、太田市スバル町の群馬製作所本工場で社名変更記念式典を開いた。前身の中島飛行機が同市で創設されてから今年で100周年。約400人の出席者の前で、関係者はさらなる飛躍を誓った。
写真=対談するSUBARUの吉永社長(右)とスポーツキャスターの荻原氏
◎レヴォーグ愛車の荻原次晴さんが社長と対談
あいさつに立った為谷利明群馬製作所長は「スバルを自動車、航空機事業のグローバルブランドとしてさらに成長させる」と、富士重工業から社名を変更した狙いを説明。「『安心と愉しさ』をさらに追求し、ものをつくる会社から笑顔をつくる会社へと変われるよう取り組んでいきたい」と力を込めた。
来賓の大沢正明知事は「群馬県経済をけん引するとともに、地域雇用を生み出し、産業の発展に大きく貢献していただいている」と感謝し、自動運転技術の開発などで連携を強化する意向を示した。
除幕式で、吉永社長や為谷所長らが紅白のひもを引いて「株式会社SUBARU群馬製作所」と書かれた看板をお披露目すると、盛大な拍手が湧き起こった。
吉永社長とノルディックスキー複合長野五輪代表のスポーツキャスター、荻原次晴さん(草津町出身)の記念対談も行われた。
愛車は「レヴォーグ」という荻原さんは、「スバル車の魅力は何と言っても四駆。少しアクセルを踏んだだけで狙ったところに行ける感覚も気持ちいい」と話した。北米やオセアニアでのスキー合宿でスバル車をよく見かけたといい、「日本のこと、群馬のこと、私自身のことを褒めてもらっているような気持ちになった」と笑顔を見せた。
吉永社長は、米国で評価されている「アウトバック」を開発した際に現地の顧客の声を反映したと振り返り、「お客さまにとって本当に価値のある、認めていただけるものづくりをやってきた」と胸を張った。今後に向けて「自動車産業が変革の時代に入っている中、われわれは小ぶりな会社だが皆で力を合わせて頑張っていく」と決意を述べた。
記念講演では、前橋市文化スポーツ観光部の手島仁さんが「中島知久平の先見性」と題し、創業者の知久平の功績や人柄を紹介。中島飛行機の成長が、群馬県が蚕糸業県から内陸型工業県に転換する流れをつくったとし、「現代の群馬県は知久平の遺産の上にあると言っても過言ではない」と話した。
◎地元関係者 街活性化に期待の声
スバルの社名変更記念式典が太田市内で開かれた2日、地元関係者から新社名を歓迎する声や今後への期待が聞かれた。
「スバル最中」などを販売する「伊勢屋」の岡田喜浩社長(50)は「ずっと『富士』と呼んできたので、慣れるまでに時間がかかりそう」とさみしげな表情を見せたが、新社名には「お土産の認知度が上がる。街の活性化につながれば」と期待を込めた。
東本町栄町行政区の渡辺優区長(70)=東本町=は、会社のことを親しみを込めて「スバル」と呼んでいた人が工場周辺には多いと説明し、「社名とブランドが一致して分かりやすい」と変更を歓迎した。
同社OBからは激励する声が聞かれた。「スバル360」のテストドライバーだった福島時雄さん(85)=八幡町=は「手堅い車造りが現代のアメリカで高く評価されている。そういう伝統を守ってほしい」とエールを送った。
中島飛行機が設計した幻の爆撃機「富嶽」の模型を作る「富嶽を飛ばそう会」の正田雅造会長(67)=桐生市境野町=は「新たな気持ちでより高く羽ばたいてほしい」と願った。
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