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群馬県民スレPart3
36
:
凡人
:2016/02/08(月) 13:12:51 ID:MifDCzTU0
藤岡市に養蚕教材寄贈 高山社授業員子孫の男性
2015.10.30 07:03 産経
世界文化遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成施設の一つ高山社跡(藤岡市)にちなみ、養蚕改良高山社の授業員がまとめた教材「養蚕畫解(ようさんかくかい)」が29日、授業員の子孫から藤岡市に寄贈された。同市文化財保護課では「授業員が教えたという記録はあるが、教材が具体的に明らかになったのは初めて」としている。
寄贈したのは高崎市吉井町の農業、吉田春美さん(64)で、曽祖父の蔦三郎翁が作成した「蚕児飼育之摘要」「地勢と蚕室との関係」「自蚕卵催青期至上簇期桑花桑葉発伸之適度(さんらんさいせいきよりじょうぞくきにいたるくわはなくわはのはっしんのてきど)」-の3軸。それぞれ幅92センチ、高さ1・8メートルの掛け軸で、明治36(1903)年開催の第5回内国勧業博覧会で4等相当の褒状を受賞した貴重なもの。当時の賞状も寄贈された。
軸の内容は、「蚕児」が蚕の成長状態や病気などについてカラーの図画表現などでまとめ、「地勢」が蚕室を設けるにあたっての立地の要件や構造について図解。「自蚕」が蚕の成長に合わせて桑の状況とのかかわりを示している。高山社顕彰会の関口覚調査部会長は「蔦三郎翁が明治24(1891)年ごろから構想し、何度も手直しをしながら博覧会に向けて集大成としたのでは」と話す。
養蚕改良高山社は、異なる立地や気象条件でも適切に飼育管理できる蚕飼育法の「清温育」を考案した高山長五郎翁が明治17年に設立した養蚕の研究・教育機関。蔦三郎翁は同社で学び、明治21(1888)年から45(1912)年にかけて群馬はもちろん山形や山梨、徳島などに授業員として出向き、自分で工夫した教材を通じて清温育の普及に努めた。
15年前まで養蚕に取り組んでいた吉田さんは「自宅の蔵にしまっておいても宝の持ち腐れ。どんな形でも役に立ってもらえればありがたい」と述べた。同市では高山社跡近くに整備中のガイダンス施設での展示や市歴史館での企画展などで活用していく考えだ。
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