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高崎の野蛮人たち

2凡人:2011/10/21(金) 10:49:55 ID:xts/bGcY0
駅ビルになる前の高崎駅がハンティングフィールドにつかわれた。
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大久保 清(おおくぼ きよし、1935年1月17日 - 1976年1月22日)は、日本の連続殺人犯。1971年に画家を装い、若い女性に近づき言葉巧みに愛車に乗せ、人気のない場所で殺害し遺体は山中に埋めた。この手口で同年に8人を殺害し逮捕。1973年に死刑判決を受け1976年1月22日、死刑執行。(ウィキから抽出転載)

最初の強姦事件1955年7月12日、大久保は大学生に成りすまして伊勢崎市の17歳の女子高生を強姦。この時は初犯であった事から懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決で済んだものの、同年12月26日に再び強姦事件を起こす(ただし被害者の抵抗で未遂に終わる)。この事件で、3年6ヶ月の実刑判決を受け、刑務所に入る。

だが刑務所での大久保は模範囚であり、1959年12月15日に刑期を6ヶ月残し出所。川で溺れた児童を助けて警察から表彰されたりもしたが、出所から半年も経たない1960年4月16日に大久保は全学連の活動家に扮し、前橋市の20歳の女子大生を自宅に連れ込んで襲い掛かったが、被害者が大声をあげて両親に見つかったため未遂に終わる。この時も示談となり不起訴処分となった。

結婚と恐喝・強姦1962年5月に大久保は結婚、犯歴があることを妻には黙っていた。翌年には長男が生まれ、更に谷川伊凡のペンネームで詩集『頌歌』を自費出版している。その後牛乳屋を始めるが、1965年6月3日に牛乳ビン2本を盗もうとした少年の兄に押しかけ無理矢理示談書を書かせたことから、恐喝および恐喝未遂罪で逮捕された。この事件で、懲役1年・執行猶予3年の刑を受けたばかりか、自らの犯歴が妻に知られることになり牛乳屋も不振に陥る。なお、この年に長女が誕生していた。

牛乳屋が振るわなくなると大久保は新車のいすゞ・ベレットを購入し、車内にはベレー帽に原稿用紙・詩集などを置いて作家を装いながら通りすがりの女性に声をかけて強姦事件を起こすことになる。1966年12月23日に高崎市の16歳の女子高生を自動車に乗せ、車内で強姦。翌1967年2月24日にも前橋市の20歳の女子短大生を自動車に乗せ、車内で強姦。この一件から大久保は強姦致傷で逮捕され、大久保自身は合意の上での和姦を主張するも、懲役3年6ヶ月の判決を受ける。加えて恐喝事件の執行猶予も取り消され、懲役4年6ヶ月の刑となる。

連続殺人服役していた府中刑務所でも大久保は模範囚として振る舞い、1971年3月2日に出所。一時は妻と復縁して更正を考えていたが、妻に対し兄が復縁に反対したことで断念。その後、室内装飾品の販売を始めたいので必要だからと、当時の最新型スポーツカーだった「マツダ・ファミリアロータリークーペ」を親に買って貰う。

3月31日に群馬県多野郡で最初の殺人を犯したのを手始めに、逮捕されるまでの1ヵ月半の間、ベレー帽を被ってルパシカを着て[1]スポーツカーに乗りながら、画家を自称し「絵のモデルになってくれませんか?」と約1000人以上の女性に声を掛けていた。ロシアの血を引く甘いマスクと巧みな話術・物腰柔らかな態度から、150人ほどの女性が車に乗り込みうち10数人と肉体関係を持った。しかし、肉体関係を強く拒否した8名を容赦なく殺害、死体を造成地等に埋めて遺棄した。

事件発生日 事件発生地点 犠牲者
1971年3月31日 群馬県多野郡 女子高生(17)
1971年4月6日 群馬県高崎市 ウェイトレス(17)
1971年4月17日 群馬県前橋市 県庁臨時職員(19)
1971年4月18日 群馬県伊勢崎市 女子高生(17)
1971年4月27日 群馬県前橋市 女子高生(16)
1971年5月3日 群馬県伊勢崎市 電電公社職員(18)
1971年5月9日 群馬県藤岡市 会社員(21)
1971年5月10日 群馬県前橋市 無職(21)

被害届けを出さなかった女性も数知れず、その被害実態は未だに明らかでない。


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