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高崎経済大学の人物一覧
577
:
凡人
:2012/01/20(金) 07:09:16 ID:C/YpDdDY0
富山ニュース〈特集〉
〈一勝1〉主将、創部から尽力 富山いずみ
2007年07月09日朝日新聞
グラウンドの片隅にある、でこぼこのブルペン。野球部員が地面を掘って作った。以前はグラウンドの端っこで練習していた野球部。いまはサッカー部員や女子ソフトボール部などと一緒に、グラウンドの約4分の1を使う。創部から1年がたった。
練習の中心になるのは林監督と原田主将(手前)だ =写真
富山いずみ。02年に県立富山女子から共学になった。すぐにサッカー部などは創部されたが、野球部はできなかった。今も全校の8割以上が女子生徒だ。「学校の歴史と戦っているようなもの」と林大作監督(39)。
◇
泊、雄山で監督をしていた林監督は赴任直後の04年から、野球部創設を呼びかけた。その声に応えたのが05年入学の原田和弥主将(3年)だった。
原田主将は同校に「野球の好きな先生がいる」と聞いていた。入学前の作文には「野球部に入ってがんばりたい」と書いた。「近所だから選んだけど、よく調べていなかった」。野球部がないのを知ったのは入学後だった。原田主将はがっかりする間もなく、林監督の元へ駆け込んだ。
「できんかもしれんがやるか」「やる」
2人だけのキャッチボールが始まった。
◇
林監督は、原田主将に職員室へ練習メニューを聞きに来るとき、中学時代のユニホームを着るよう指示した。学内に野球をアピールするためだ。「なぜ、あの子はユニホームを着てるの」。「野球部ってあったっけ」
マンツーマンの練習が続いた。原田主将は男子生徒に「野球部に入れよ」と声をかけ続けた。1人、また1人と部員は増えた。同じクラスの女子生徒をマネジャーに誘った。林監督は知り合いから使い古しのバットなどをもらってきた。05年12月に同好会に。06年4月に部に昇格、昨夏の大会に初出場した。ユニホームの「IZUMI」の文字がまぶしかった。
最初は大会に出場するだけでうれしかった。だが練習が終わるとすぐに帰る部員がほとんどで、公式戦でコールド負けが続いた。次第にチームのレベルの低さに気づき、練習後、自主的にバットを振る部員が増えた。冬場は休み返上で練習した。それでも、春の交流戦などでコールド負け。原田主将は試合中に悔しくて涙が出た。「自分たちで考えてあんなに練習したのに。これで終わりたくない」
今春、グラウンドに野球部用のネットが設置された。打球が道路に飛び出すことはなくなり、打撃練習も十分にできるようになった。部員も男子15人、女子4人に。「他校に行っていたら野球をやってない部員もいただろう。一つひとつ積み上げて、ここまできた」と林監督は話す。
最近、練習試合で勝つことも増えてきた。「いまは大会ですごく勝ちたい。自信はある。巡り合ったこのメンバーとやれてよかったと思いたい」と原田主将。2度目で最後の夏。念願の公式戦「一勝」をめざす。
◇
第89回全国高校野球選手権富山大会(朝日新聞社、県高野連主催)が始まる。勝たなければ、そこで終わるトーナメント。それぞれの「一勝」を胸に、グラウンドに立つ選手たち。彼らの「一勝」を見つめた。
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