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高崎経済大学の人物一覧

433凡人:2010/05/26(水) 16:09:25 ID:IY8VGWYU0
旧短大卒
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高崎第九合唱団団長
渡辺 義之

(音楽と歩んだ人生)
1.幼年期 1935年に東京・浅草に生まれ10歳までそこで暮らしました。歌が好きなのは、母の影響でしょう。子守歌に始まり童謡・唱歌・歌曲・等々家庭の中にはいつも歌で満ち溢れていました。父も義太夫を語り、声色・物まねが得意でした。時節柄軍歌もたくさん覚えました。私の歌の原点は多様でした。

2.少年期 1945年に敗戦になり、父の故郷千葉で開拓生活に入りました。原野での自給自足の生活の中で、唯一つの楽しみは歌でした。小学唱歌やフォスター・ラジオ歌謡・歌謡曲・童謡等なんでも口ずさみました。私にとって歌は娯楽であり、教養であり、生きがいであったとおもいます。

3.青年期 1951年に高崎の叔父のところに寄宿して高崎商業高校に入学しました。そこで音楽部の指導者、平野一先生に出会いました。“合唱は合心である”と言う平野先生の哲学はその後の私の人生を決定付けました。高商合唱部の仲間とは50年たった今でも一緒に合唱活動を楽しんでいます。

4.コーラスを始めた頃 1957年高崎経済短期大学を卒業しました。在学中在籍した音楽部では青年歌集でロシヤ民謡や労働歌を歌っていました。卒業後高商音楽部の仲間と結成したEGコール(エーゲーコール)で混声合唱活動が始まりました。高崎市民音楽連盟に加盟し、コーラスフェステバルの開催等に参加しました。群馬県合唱連盟の設立にも参画したのもこの頃です。

5.家庭と合唱の両立 1961年にE・Gコールの仲間高橋寛子と結婚しました。新居は合唱団の事務局になりました。3男1女に恵まれて子育てに夢中でした。私は群馬メールクァイアーで辻正行先生の指導で男声合唱の魅力に浸りました。妻寛子は双葉会で女声合唱を楽しでいました。その中でライフワークになる高崎第九合唱団の芽生えがあったのです。

6.高崎第九合唱団 1974年に高崎労音10周年記念事業としてベートーヴェンの第九交響曲の演奏会を開催することになり、高崎第九合唱団結成されました。私は事務局次長として、市内の一般合唱団との窓口になり、練習計画等の作定に携わりました。その後事務局長・副団長・団長と今日に至っています。2006年12月に第33回の演奏会を行うまで、毎年の歳末の行事として第九が定着しています。

7.でかんしょ合唱団 1977年に第九合唱団の有志でかんしょ合唱団を結成しました。1979年に第1回ファミリーコンサートがおこなわれ、2005年の第11回まで続いています。指揮者は久保田美明・大沢精市各先生に続き1982年よりは現指揮者の長島好江先生に指導をいただいています。

8.第九合唱団海外公演 1989年に高崎第九合唱団の設立15年を記念してドイツ共和国のハイデルべルグ市で第九演奏会をおこないました。その後チェコ共和国のプルゼニ市・ドイツ共和国のニュルンベルグ市・ポーランド共和国のザブジェ市・リトアニア共和国のヴィリニュス市と17年間に5回の演奏旅行を行いました。

9.群馬交響楽団合唱団 1989年に第1回のモーツアルトのレクイエムを演奏して以来、2006年で演奏会は第20回を超えます。群馬交響楽団の専属合唱団として主に宗教曲を中心とし大曲の演奏を群馬交響楽団の定期演奏会で演奏しています。私たち夫婦も最初から参加して1年も休まずに歌っています。毎年新しい大曲に挑戦できることは楽しみです。

10.おわりに いよいよ70歳代に突入しておもうことは、私の人生は音楽とともにあり、歌が私を支えてくれたという思いです。50年の合唱人生は私の誇りであり、私の宝物です。合唱を通じて知り合ったたくさんの方々はすべて私の師であり、私の友であります。今の私の願いはこれからも命の続く限り歌い続けることです。(2007年1月)


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