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俺は小説家を目指している。

146イチゴ大福:2005/02/13(日) 10:35:48 ID:Mo5eFkiY
「まったく、いい気なもんだよ。」
「いいじゃないですか。四月からは社会人ですからね。ああそうそう、学生課に問い合わせたんですけどね、もう就職先も決まってるみたいですよ。なかなかいい所ですよ。」
調書を渡す。大洗はそれを手に取る。
「まぁ、こんなもんどうでもいいけどな。だいたい、なんだってこう、大学を卒業すると同時に就職なんだ?第一こいつ、経済学部の癖に土建屋じゃねぇか。」
「ゼネコンっていってくださいよ。鳶や大工じゃないんですから。」
「大学っていうのは専門的な人材を養成するんだろ?それがなんだ。お前の後輩は社会からそれなりにしか必要とされてないようだな。」
「そういう言い方やめてください。第一、卒業しても就職しなかったり、フリーターになったり、中退してそのまま引き篭もってしまう人だっているんですよ。それに比べたら手天地の差だよ。社会と向き合っていて頑張っているじゃないですか。」
「ばかだな、それじゃ人間の存在意義なんか、単純化された労働力の集合ぐらいにしか認識できないじゃないか。経済に人間が組み込まれてどうする?」
「しかし、やはり働くことは大切ですよ。引き篭もっていたってなんの問題の解決にはなりません。」
「原因と結果の因果を見誤ってはいけない。引篭もりというのが最近問題になってるようだが、それは原因ではないだろ?そうする人間はなにかしらの問題があるから、その結果として引篭もるんだ。解決しなくてはならない問題は、引篭もらないということではない、引篭もりを誘発する因子を解明することだ。」
「しかし、辛くても頑張っている人はたくさんいるんですよ。ちょっとくらい大変だからって現実から逃げるのはどうかと思いますけどね。」
「お前は幸せや奴だ。経済が人間性を否定するなら、人間にとってこの経済システムなくしてありえない世界は現実だろうか?そもそも経済という名の現実はどこにある?空の青さは経済か?星の輝きは完全雇用を実現するか?山々の霞はインフレ不安を解消できるか?目先の豊かさと有限性に対する現実世界における肉体の脆弱性がもたらす一種の幻想的快楽を希求しようとする合目的的意志の、いわばエゴイズムともいうべき営利主義の慣例化は、人間差別化における階層意識の柔軟な視覚的教唆、思考の緩慢な歪なる作用の結果として生み出された仮想空間の数学的虚構だ。そういえば昔、こんなことをいった人物がいた、『アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰が領主だったか?』」
「ウィリアム・ペンですね。」
「そしてマルクスはこういう。『すべて人類の歴史は階級闘争の歴史だ』と。しかし、敵とは誰だ?味方はどこにいる?持つものと持たざるもの。階級というものが不明確な現実社会にあって、持たざるものはただ経済というシステム、評価軸によって『持たなかった』ことによってのみ、楽観的かつ一方的に無謀な評価をもたらす。これは暴力だ。
人間の命が尊いとは誰でもいうことだ。しかし、誰にとっても尊いわけではない。人には値段がある。顔形や学歴、就職先や年収といった、経済的評価がまとわりつく。何ができるか。どんな技能があるのか。そのような訓練ができないのであれば歯牙にもかけられない。それでも人間の命は尊いという。人間の命には死角があることを、知っていて知らないふりをしている。それが動物というものだ。」


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