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その他の地域の軍隊

501手痛いニュース:2013/06/15(土) 17:44:30
こうして広大な麻帆良学園都市跡地の35%を利用した斜め上のスタイリッシュ建設により 2013年1月30日にホテル・ニュートーヨーがオープンしてしまった。
なんという事でしょう(唖)。オーナーは両津勘吉であり代理であるボルボ西郷と警備員の左近寺竜之介、送迎員の本田速人と会計士の北条氏、非常勤コンサルタントである戸塚氏という組み合わせ。
元は両津勘吉がいつものビジネスで始めた贅沢さが特徴のホテル・リョーツで改名の上、麻帆良学園都市跡地にやってきた。
改名はミッドチルダに進出していた中川財閥と四葉財閥の間に生まれたゲテモノ企業「プランタンイェーガー」で、既に両津が名前を提案していたため容易にトーヨーに改名できた。
かつて中川財閥の悲願であった麻帆良学園都市への進出計画が生かされた形であるが、現社長候補中川圭一にとっては特に嬉しくも何とも感じないだろう。
そして、ホテルの建設は中川建設機構ではなく赤沢財閥の建設課によって行使された。本当に麻帆良学園都市に赤沢財団がきて建設がされたのである。
赤沢財閥によってである。赤沢財閥の動きがあったのは、中川グループの中にある建設課が万が一両津勘吉があらぬ方向に転がったら損害を被りかねないとして、
手元にある札束を重ねていくだけで進撃の巨人の壁ができるというのが売りである赤沢財閥が取り仕切った。
この土地で、他の企業でも戦跡を潰して社屋を建設する傾向にあったが、両津勘吉のビジネスに見受けられる破天荒な垂直上昇ポイントとして戦跡の真上に建設した本館が上げられる。
他社がせめて忌まわしい戦跡を避けるように本社を配置したのに対して、ホテル・ニュートーヨーのこれは全力を挙げており、
麻帆良学園の施設を一部を再利用しつつ新たに本館と別館・迎賓館を建設したという悪魔的な発想であった。
デフォルトで遺骨や亡骸が散らばるかつて麻帆良学園祭の本会場跡地はさすがにホテルの部屋として流用できなかったようで、両津勘吉の趣味による競馬場が建設された事
さすがにその状態ではまずいと思ったのか簡単な慰霊碑がぽつんと建てられた以外はネギショックで壊滅した当時のまんま、
建物の色も東京支店における白と黒の縦ストライプではなく、一部が純金に塗装されあとの部分は当時の麻帆良学園都市時代の混乱期における剥げ落ちた塗装のまんま。
両津勘吉の胸像と本田速人のオートレース場がこち亀のものである事を表現していたが、いずれも急拵えなのは明白だった。




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