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三度の飯より、音楽が好き!

93闇夜の鮟鱇★:2013/12/28(土) 11:41:31 ID:???0
  ●●●2013年の音楽総評●●●(6/10)

この辺からは、いわゆる『パロディ』と言われる使い回しのある曲が、
中心となりますが、特にカンタータとして聞く意味は少ないと思うので、
私の評価としては相対的に低くなります。
先ず、最初の135番と159番は『我が頭(こうべ)は血汐にまみれ』
というコラールがテーマになっているようです。
これはバッハが使ったコラールの中でも多分、最も有名な奴で、
例のマタイ受難曲では、物語の節目毎に繰り返し用いられていますね。

昔、ポール・サイモンの歌で『アメリカの歌』というのがありましたが、
あれも、このコラールのメロディーの借用なんですね。
  https://www.youtube.com/watch?v=RKvMuvMgZas
ところが……それが実は、バッハのコラールというよりも、
『自分がそのコラールを元に編曲したもの』のパクリであるとか言って、
クリス・ヒンゼが抗議していたのを思い出します。

でも、この二つのカンタータでは、その同じコラールのメロディーを元に、
バッハ自身が様々に編曲したものを聞くことが出来る分けですね。
それはともかくとして、キリスト教という文学宗教においては、
キリストが処刑される時のむごたらしさが、信仰の核ですからね。
キリストが十字架を引きずってゴルゴダの丘まで登らされ、
十字架に釘で手足を打ちつけられる、という血なまぐさい情景において、
茨の冠をかぶせられた頭から流れ落ちる血は、受難の象徴なんですね。


ところが……フィリピンあたりの復活祭では、熱狂的な信者が、
実際に、自分の手足を釘で十字架に打ちつけるらしいですね。
  http://karapaia.livedoor.biz/archives/52078064.html
これはカトリック教会からすると、痛し痒しではないでしょうか。
というのも、信者たちの信仰の強さは認めるにせよ、そのこと自体、
キリストの受難の悲惨さを相対化してしまう分けですからね。
その後の4曲は全てロ短調関連ですが、これだけでも相当な迫力ですから、
ロ短調の入門編として聞くには良いかもしれません。

先ず、191番はグローリアの先頭曲から始まりますが、
120番の第二曲にはクレドの末尾、つまりサンクトゥス直前の曲があります。
そして、215番の先頭がオサンナで、113番はアニュスデイ……
のつもりだったんですが、改めて聞きなおすと違ってましたね。(^^;)
どこでこんな間違いをしたのか、ハッキリ覚えていないんですが、
アニュスデイはむしろ、11番の第4曲だったようです。
この11番は別名を『昇天祭オラトリオ』とも言うようですが、
今回はもう時間切れということで、あえて入れ替えはやめておきます。

ここで、先ず気になるのは215番なんですが、
この最後にある第9曲は、何やらヘンデル風ですよね。
既に170番に関して、テレマンの影響かと書きましたけど、
こっちは、ヘンデルの亜流みたいな印象を受けます。
バッハもやはり、同時代人の影響は免れなかったと言うべきでしょうか。


そして、更に大きな問題は120番なんですね。
前に、ロ短調について少し触れた時『クレドだけを取り上げるのは、
けしからん』とか書いた記憶があるんですけどね。
というのも、私からするとクレド末尾の音楽は、
次のサンクトゥスというクライマックスへの導入、
ないしは助走みたいにしか聞こえないからなんです。

ですから、そこだけを聞かされると『目の前に御馳走を並べられて、
食べようとした瞬間に引っ込められた』みたいな気分になる分けですね。
つまり、クレドの末尾を聞いた時点で、私の体はもう、
次のサンクトゥスを聞く態勢に入ってしまうようなんです。

その意味で、このカンタータを最初に聞いた時には驚きました。
元々、それをこうして分離して演奏する習慣もあったのだとすると、
私のああいう気分は、長いことロ短調を聞き慣れた結果、
条件反射として生み出されたものに過ぎないんでしょうか!?
私が『最初にロ短調ありき』と考えたいと書いたのも、
その一つの理由は、この点に関係していた分けです。


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