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無差別級

108闇夜の鮟鱇★:2012/03/30(金) 11:41:51 ID:???0
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(5/6)

よって編纂の開始は、少なくともそれ以降ということになりますね。
因みに、家持は718年頃の生まれとされていますから、
彼が物心が付くころには、憶良の望郷歌は、
既に四半世紀も昔の話ということになります。

他方では、家持の死後にも万葉集が編纂された形跡があるのに、
その人物は不明ということで、講師はそれをXと読んでいましたね。
でも、そうなると、その謎の編者というのは、
家持の正妻であった大伴大嬢ではないかという気がします。

つまり全く外部の、例えば大伴家以外の人物が、
万葉集の最終的な編纂に関わったのだとすれば、
その名が痕跡として残されていないことは考えにくいですよね。
それに比べ、家持の死後に残された大伴大嬢が、
夫の遺志を継いで万葉集を最終的に完成させたのだとするなら、
その名がどこにもないとしても、驚くには値しないと思います。


その点で少し興味を引かれたのは、家持と大嬢の関係でした。
家持は16才位の時に、既に大嬢に贈った恋歌があり、
一説によると、もう当時から二人は出来ていたとも言われます。
でも、その後、家持は別の女を妻にして子まで作ったらしく、
その女が早死にした時に、彼は悲痛な挽歌を残していますね。
  大伴家持:青春と恋(万葉集を読む)
  http://manyo.hix05.com/yakamochi/yakamochi.seishun.html

その後、改めて家持は大嬢を正妻として迎えたようですが、
実を言えば、家持には生涯に10人以上の女がいたとも言われる分けです。
第35回に出てきた笠郎女も、その一人だった分けですけどね。
そうした事情からすると、第47回に取り上げられた、
家持の大乗への恋歌が大変ナイーブなのが気になりました。
  万葉集の風景
  http://viewmanyou.web.fc2.com/081630_kaobana.html

第八巻の1629番と1630番で、長すぎるので引用は省きますが、
仕事が忙し過ぎて、同居する家にほとんど帰れないのを恨んで、
『どうしたらあなたへの恋心を忘れられるのか』と歌っています。
家持がこんな恋歌を作ったとすれば、それは最初の恋の時で、
二人とも二十歳未満だったような気がする分けです。
ひょっとすると、万葉集の最後の編者としての大嬢が、自分が贈られた、
若き日の恋文を覚えていて、こんな形で収録したのかもしれませんね。


因みに、こうした歌を紙に記録することが何度か話題になりましたが、
自分で俳句や短歌を作る人なら良く分かると思いますけど、
そうしたものは特に書き留めておかなくとも、
当事者は決して忘れないものですよね。
ですから、例えば遣新羅使の歌日記にしても、あれは秦間満が、
後から全てを思い出して、紙に書き留めた可能性があります。

例えば、将棋のプロ棋士は勝負が終わった後で何も見なくても、
最初からの全ての手を盤上で再現できると言いますよね。
へぼ将棋ではそうは行きませんが、プロの勝負ともなると、
結局、盤上の一つの駒の位置が全体の形勢に影響するので、
各駒の位置関係は有機的に関連付けられている分けですね。
ですから、勝負を再現するのに苦労はしないのだろうと思います。

その点、和歌や俳句にしても似たようなもので、
一つ一つの言葉は、互いに有機的に関連付けられていて、
『ここにはこの言葉が不可欠である』という所まで練り上げ、
推敲に推敲を重ねた上で、詩歌として成立している分けですね。
ですから多少、時間が経っても忘れることはあり得ない分けです。


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