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よれた三十路の人生論
1
:
仮面臓器
:2016/12/03(土) 00:16:54 ID:???
前向きに生きるヒントになれば光栄です。
2
:
仮面臓器
:2016/12/03(土) 00:23:19 ID:???
【人生論】
人生、
担げば神輿、進めば祭
だから、担いで進んで行く
そうすれば、それが、自分の人生自体が、自分のアイデンティティとなり、その祭り自体が自分の自己実現となる。
何ら特別なことはない。
他人の定義に惑わされる必要はない。
こんなこと、今すぐにでも始められる。
自分は、始めから自由だ。
外からどう言われようとも、自分が神輿を担いで前に進んでいるのなら、それは、祭りなんだ。
目の前に広がる数々の難題や重々しい現実、その上にはあまたの人ごみがたちこめており、自分の人生にとって障壁にしか見えないことも山のようにある。
でも、本当は、そこに希望がある。
確かに、それは果てしなく重く、自分一人では、持ち上げられそうもない。
しかし、じつは、それは、神輿なのだ。
大勢の人たちで担ぎあっている神輿なのだ。
だから、
担いで進めば、祭なのだ。
そして、実は、自分もそんな神輿の上にいて、そのせいで重苦しくなった神輿を誰かが担いでいてくれたりする。
それが、人生なんだろう。
だから、幸せになりたいのであれば、担ぐことが大切なんだろう。
だから、担ぐことも大切だし、自分が幸せなら、気づかぬところで自分の神輿を担いでくれている人たちに感謝することも、大切なんだろう。
だから、身の回りの人や知らぬ人への思いやりが大切なのだろう。
そして、担ぐ神輿はめちゃくちゃ重い上に、担いで行く向きは自分で決めるしかない。
でも、それが本当の責任であり、本当の自由なんだろう。
世の中、成功の道とか、幸せとかが定義され尽くしていて、自分にとっての幸せなどどこにあるのかわからないし、それ故に、既存の価値観に流されて幸せの幻想を見るしかなかったりもする。
でも、本当は常に、人は自分にとっての幸せを手にすることが出来るのかもしれない。
神輿を担いでいれば、行く方向は自分が決めて良い
神輿を担いで、歩き出したら、その瞬間から祭りが始まる。
という、この事実が、人をそれぞれの幸せの方向に運んでいってくれるのだろう。
だから、絶望したなら、自分が降ろしてしまった神輿を担ぎなおして、祭を始めたらいい。
その祭の光で、明るく見えた方向に進んで行けば良い。
3
:
仮面臓器
:2016/12/03(土) 00:28:19 ID:???
【争いについて】
なぜ、人格否定されるのか?
それは、その否定してくる相手が、人生のどこかで、生きる上で、何かに甘えくさって生きてきたからだ。
人は、必死に生きていれば、ボロも出る。お互い、必死に生きて、出てしまったボロを需要し合うからこそ、社会、というより大きなまとまりで結束し、より大きな幸福を手にし得る存在となる。
これが、平和の原理なんだろう。
人の人格否定の押収は、
国の、文化、文明の否定の押収、即ち、戦争と同じである。
人格否定も、戦争も、両者の未熟性に起因するところがあり、両者が止めなければ終わらない。
原因は、需要や協調に至れない未熟さにある。
もし、人格否定され過ぎて疲れているのであれば、恐らく、今、自分を囲んでいる、そのコミュニティは、自分にとって、未熟なものなのだろう。
だから、今は、そのコミュニティの未熟さに眼を向けて、自分の力で改革していくか、そのコミュニティを捨てるかを選ぶ良いチャンスなのでは無かろうか?
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