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自殺は正しい?
82
:
ososo
:2009/04/19(日) 21:56:39 ID:mWPhgkVE
e4さんなりに僕の世界観を記述して下さってありがとうございます。
自分で自分の考えを言葉にしようとすると、自分が本当に言いたいこととマッチしていないような気がすることも多いのですが
e4さんの譬えもわかりやすかったので、自分の考えを再理解できました。
e4さんの疑問は、そのまま僕の疑問でもあります。
答えになるかわかりませんが、僕なりに答えてみたいと思います。
不完全な考えだと思って読んで下さい。
e4さんのエネルギーの泉や海、コップなどの譬えはとても気に入ったので、使わさせて下さい。
僕が注目しているのは、僕はエネルギーの泉という一つの存在であるのにもかかわらず、実際は僕という一人の人間だということです。
何にでもなれたはずなのに、何故だか僕であるという事実です。
一つの存在のままでもいいはずなのに、何故だか実際、世界には実に多様な形で様々なものとして現れている。
海のままでもいいのに、「四角いコップ」だったり、「星型のフラスコ」だったりと様々な容器に入って現実世界に現れている。
一つのままでもいいのに、あえて多様であるということに、僕は意味があると思うんです。
愛についてですが、僕は人間のどこかに、本来は同じ一つのものだという直感があるから愛するのかなと思います。
例えば僕は、忌み嫌っていた人が、ふと人間味や弱さを見せたとき、あるいは自分と同じような境遇で苦しんでいると知ったとき
「ああ、この人も同じ人間だったのか」と気付き、親しみや愛情のようなものがわきます。
そもそも個々の存在がそれぞれ独立した存在であるのなら、一緒に在る必要が無いように思います。
共存と言う形をとる必要が無いと。最初から一緒に在る必要が無いと。
共存する為には、そもそも一つの存在から派生したのでなければ、その必要性は生まれないわけです。
どこまでも個別の存在なら、どこまでも個別の存在のままでもいいわけですよね。
にもかかわらず同じ世界で僕らは共存しているわけです。
だからこそ人は愛するんじゃないでしょうか。誰かと一緒にいたいと思えるんじゃないでしょうか。
そんな世界で僕は僕として生きている。
僕の考えは確かに自殺を抑制するものではありません。
僕自身、自殺に関しては個人の自由だと思いますし、正しいとも正しくないとも言えませんし。
ただ僕は、どんな存在でもあれたはずなのに、あえて僕という存在であることがとても不思議で奇跡的なことだと思うわけですね。
一期一会と言うか。そしてこの世界に存在するのは、そんな希少な存在ばかりだということです。
だからせっかくの自分との出会い、他者との出会いを大事にしたほうがいいのかなと思うわけです。
無を願う「容器の海水」にとっては確かに、これ以上ない理不尽な現実かもしれません。
ただ無を願う前に、他のいろんな容器に入っている海水と混ざってみるのもいいのかなと思います。
いろいろと考えてみましたが、結局存在とは謎だなぁと思います。
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