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自殺は正しい?

78ososo:2009/04/18(土) 22:39:04 ID:mLIbCoR6
e4さん

僕が、あらゆるすべての存在は実は同じ一つの存在なのではないか、と思う理由でもあるのですが。
自己を認識する認識を追及する行為は際限なく続き、
e4さんのおっしゃるとおり自己とは、そうして追究することにより新たに誕生してしまうわけです。
追究を止めてしまえば、止めたその最終地点が「核としての自己」として定義できるのかもしれない。
しかし追求をやめなければ自己はどこまでいっても「こういうものだ」と定義することはできないわけです。
そうすることをどこまでも拒み続ける。
つまりそれは、確定した何かであることをどこまでも拒み続けるわけです。
「これだ」と定義してもまたその定義を探すわけですから、なんとも終わりが見えない。
この永遠に終わりが無いということに、僕は答えがあるような気がしていて、
どこまでいっても何かであることを拒み続けると言うことは、どこまでも何かでないわけです。
何かでないということは、何ものでもないということ。
何ものでもないのならば、言い換えれば何ものにでもなれるということです。
そういう実にオールマイティーな存在が自己を追求していったら現れるわけです。
自己という一点を追求、掘り下げていったら、宇宙のような果てしなく広い空間に出てしまったと言うか。
それは追求していった最終地点に現れたわけではなく、その追求する過程の中にも常に在ったんです。
何でもないのなら何でもある。これは「すべて」ということです。一は全になってしまった。
だから僕は、あらゆるすべての存在は実は同じ一つの存在なのではないかと思うわけです。
これも結構、暴論っぽいですね。

無についてです。
僕は自分以前に意識以前に体感以前に存在としては在ると考えているので
「空白の体感」も無ければ、「空白という認識」も無いところにも、やはり在ると思いたいわけです。
しかし
睡眠時の空白中の自己にとって「在るか」「在る状態ではないか」という概念は機能していない。だからこそ、その空白を、僕達はイメージ出来ないし、
空白として以外解釈出来ないわけです。
→はおっしゃる通りでその空白をどう考えればいいかと言えば「無」がしっくりきますね。
例えば意識や体感の無い存在として在った場合、どうやって在るということを認識するのかと考えてみたのですが、
どう考えればいいか困ってしまいました。
もう少しこの問題については考察してみたいと思います。


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