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1回目お題「騙されたくない」

1noelle:2003/10/19(日) 20:02 HOST:YahooBB219215240021.bbtec.net
アンナ・モレリ「戦争プロパガンダ10の法則」(草思社 ISBN:4794211295)を肴にいろいろ考えようと思います。意見とか参考になりそうな情報とか、関連ねたとか書いていって下さい。

2nao:2003/10/29(水) 23:57 HOST:YahooBB219215240006.bbtec.net
戦争プロパガンダの手強いところは、それを操っているのが特定の「彼ら」ではなく、むしろ「われわれ」の中にある点だと思います。
このプロパガンダの物語をつくっているのは、Xファイル的な陰謀を謀る(陰の)政府とかよりも、むしろ手近な「怒りの対象」を求め、消費する私たちの欲望の方にあるのでは。

3nao:2003/10/30(木) 22:04 HOST:YahooBB219215240006.bbtec.net
もちろん、情報をより望ましく伝わるよう、意図して編集したり、発表したり、伝えたりする主体は存在する。しかしながら、そのような主体が利用し、共犯関係を結んでいる、戦争プロパガンダの「主犯」は、「怒れる庶民」イデオロギーにある、と思うわけです。

4nao:2003/10/30(木) 22:15 HOST:YahooBB219215240006.bbtec.net
ちなみに、わかりにくいので用語を解説しておくと、「怒れる庶民」イデオロギーとは何か、を知りたい方は、ワイドショーをどうぞ。
おどろおどろしい効果音で紹介され、コメンテーターが怒っている、あの独特の「盛り上げ」のメカニズムのことです。
あと、週刊誌なんかもよいですね〜

最近は、ワイドショー以外でも、普通のニュース番組や新聞でも結構見られますよ・・・(困ったことだ)

5noelle:2003/10/31(金) 23:50 HOST:proxy102.docomo.ne.jp
とりあえずアマゾンの書評が言い得て妙だった。
曰く「目次だけ読めばよい」
確かに。

6nao:2003/11/02(日) 03:23 HOST:YahooBB219215240006.bbtec.net
「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
なんて言っていられなくなってしまいましたね、最近のイラク情勢・・・

トラウマを残す暴力的な「問題解決」は、問題をさらに深刻にしてしまっている・・・

7noelle:2003/12/15(月) 21:19 HOST:YahooBB219215240006.bbtec.net
予想に違わぬ盛り下がりっぷり(笑)
ま、noelleさんのモチベーションはタグを打ち終わったところで一旦終了なので。
休暇突入予定のnaoさんに期待しましょう。

8noelle:2003/12/15(月) 21:22 HOST:YahooBB219215240006.bbtec.net
↑だけじゃあまりにあんまりなので。
いわゆる「都市伝説」って現象とかぶるところあるよね。
人々の間に自覚されないまま潜在している恐怖とか嫌悪とかに形を与えるものというか。
プロパガンダ批判ってそれが作為的だから批判するものなんだろうか。

9nao:2004/01/01(木) 23:55 HOST:YahooBB219215240006.bbtec.net
ジェシカ・リンチの救出劇における「作為」は批判すべきだと思いますが、その一方で、そこで安易に論調を誘導されてしまう私たち自身の欲望のメカニズムを「批判」する理論を持たないと、この問題は繰り返されると思います。

10反復する名無しさん:2004/02/01(日) 17:55 HOST:YahooBB219215240006.bbtec.net
ふと思った。
「歴史が証明する」と「そのうち慣れる」の違いってなんだろう。
・・雑談ですね

11訪問者:2004/03/01(月) 23:37 HOST:is2.hakuhodo.co.jp
本来のお題ではないのですが、
> その一方で、そこで安易に論調を誘導されてしまう私たち自身
そういうnaoさんは、論調の誘導に対する十分な警戒心を既に身につけていると私は感じます(あまつさえ、周囲からはそれが高々「穿った見方」とされる程度であって「行き過ぎた妄想」とまでは見做されないように振舞うことすら)。
我々は既に報道の「癖」や政治の「癖」についてよく見聞きし知っているし、我々の中にある他者に耳を傾ける術も持っています。まさに、慣れているのです。
ただそのことに対して、そしてその方法論に対して無自覚であるために、報道や政治の強弁に「それ、なんか怪しいなあ」という懐疑を覚える以上の抵抗をしません。
上の方が言うよう、現在「歴史が証明する」という言葉は、残念ながら多くの場合、後から「やっぱりね」と言うことを指しており、私が既に気づいている嘘や闘わなかった闘争への(無)責任を指しています。
私が私自身を徹底的に不寛容に批判的に知ろうとすることが、それを防ぐのだと思います。
って。これ、こんな長々と書いちゃうと、プレビューがないのが怖いですね。乱文すみません。つい書き込んじゃいました。

12訪問者:2004/03/01(月) 23:53 HOST:is2.hakuhodo.co.jp
あ、誤読か!重ね重ねすみません。<「歴史が云々」

13nao:2004/04/04(日) 21:37 HOST:YahooBB219215240007.bbtec.net
訪問者さん、どうもです(とんでもない遅レスですが)

>「私が私自身を徹底的に不寛容に批判的に知ろうとすることが、それを防ぐのだと思います」

これ、全く同感です。私も基本的には超怠惰な人間なのですが、自分の感情が妙にゆるい方向で発現しているときは「危なそう」と思い、「方法論的懐疑」モードを起動します。
でも怖いのは、このモードが起動しなくなったとき。

さて、自分をいつまで、どこまで信じてよいのやら・・・

14名無し2:2004/05/24(月) 19:44 HOST:EAOcf-87p51.ppp15.odn.ne.jp
はじめまして。
言葉と言うのは難しいですね。
映像も見せ方によっては効果が変わってくる。
メディアに対する本格的な批評というのは難しいですね。
インターネットこそ唯一の武器かも。


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