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[改訂版] 日本の勝利、日露戦争の12年後、帝政ロシアの崩壊

1反[凶産]中国流:2006/04/16(日) 09:23:25
[改訂版] 日本の勝利、日露戦争の12年後、帝政ロシアの崩壊

我が国が勝利した日露戦争は1904年〜1905年でした。たったその『 12年後 』には帝政ロシアは崩壊し(笑)間抜けなレーニンのソ連[1917年〜1991年]となったのだった(笑)
あの帝政ロシアは日露戦争で無敵と言われたバルチック艦隊の殆どを失うなど日露戦争に敗戦したことで、国家の威信を失い、また多大の損失をだした。

当時の帝政ロシアは他国の領土を侵略し戦争、戦争の連続で膨大な戦費をつぎ込み、しかも乗っ取った領土に戦費に見合う資源なぞ殆どなく、国家の経済力を失い、国家の経済は破綻寸前だったのだ。
にも関わらず帝政ロシアは一時、中国の北京以北すべての領土を手中に収め、同時にトルコにも侵略戦争を仕掛けていた・・。

そして帝政ロシアが崩壊すると、領土はそのままソ連に引き継がれ、そのソ連までが国家崩壊し、その後はバルト三国など次々独立したことからも、いかに無茶な侵略戦争をやり、経済的に無謀な領土拡大をしていったかが判る。
偉大なアレキサンダー大王のごとく資源の豊かな領土を求めて侵略する領土拡大、併合、あるいは植民地化ではなく帝政ロシアは単なる領土拡大という無謀な侵略戦争をしていたに過ぎなかった(笑

我が国は欧米列強のそういった滅茶苦茶な領土拡大、植民地主義・奴隷主義による侵略戦争に対し、周辺諸国の体たらくのその危機的状況を受け、止むを得ず戦はなければならなかったのである(避けられない戦争はその後も続くことになるのだが)。
日露戦争では無敵のバルチック艦隊を失った帝政ロシアがたったその『 12年後 』には国家崩壊したことを考えれば、当時から国家経済の悪化や、国民の不満が高まっていたことが判る。

だからこそ帝政ロシアは日露戦争の賠償金などとても払えるどころではなかった。バルチック艦隊さえも維持するのは大変だったのだ。我が国の連合艦隊の前にその弱さを露呈し全滅。
この時期その証拠に問題になったアラスカの売却がある。帝政ロシアが巨大な金鉱山があるのも知らず、しかも広大なアラスカをあのアメリカに二束三文で売っちまったのが1867年のことだ。

この時期は、日露戦争の37年前[1904〜05年]、また帝政ロシアが滅ぶ50年前[1917年]のこと、帝政ロシアが侵略に侵略の戦争真っ只中、この時期からもう既に国家経済が悪化し戦費に事欠く状態が続いていたことになる。
巨大な金鉱山がある広大なアラスカをそれとも知らず帝政ロシアがアメリカに二束三文で売っちまったのが1867年[今から約140年前]のことだ。

その値段なんとたったの720万ドル[現在の価値で9千万ドル=日本円でたった百億円]ぽっちで巨大な金鉱山が眠る広大なるアラスカを何と売っちまったのだ(笑
広大な国土を二束三文で切り売りするようなロシア人どもなら・・、我が国の北方4島返還なんぞの外交戦略は意外に簡単、要するにロシアが戦争のゴタゴタに手を焼き戦費が必要になり経済が悪化すりゃ物に成りそうだぜよ(笑

今思えばソ連が国家崩壊し、バルト三国なんかが次々と独立して行ったときが最高のチャンスだったんだが、日本の間抜けな政治家・役人どもはまったく役に立たんぞな(笑
一方だけを見ていかにも知っているがごとく、自虐的に陥[おちい]り自滅するような国家、政治家、役人ども、あるいは目先の利益だけを追う売国奴の経済人、企業、在日、外国人、それらに諂[へつら]う一部の政治家、役人ども。

国内外に高度な難問を多く抱える日本、国際社会。物事の本質を見抜き、軸のぶれない、洗練された高度な理性、知性を持つ政治家、官僚を揃えんと、我が日本は大きく国益を損ねる。正に高度な改革『平成の高度改革』の真っ只中だ。


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