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関東大震災と朝鮮人虐殺
1
:
田中銀
:2003/11/19(水) 23:33
虐殺4000人というけど、、、、
(某所からコピペ)
アジア歴史資料センター/関東大震災の報告書です。
http://www.jacar.go.jp/index.htm
「朝鮮人暴行の件」3,4,39,40画面
レファレンスコード:B20030407634
不逞鮮人が日本の不穏分子と共謀して、放火・強盗・暴行を行っていると伝わる。
パニックに陥った市民が恐怖・憤怒の極みに達し、各自武器・凶器を携帯し自衛
に努める。
その結果、「朝鮮人及び日本人」に殺害された者は数十人に上る見込み。
政府は戒厳令を実施、不逞鮮人を警戒・日本人の不穏分子を厳重取り締り。
総理大臣及び戒厳司令官は、一般朝鮮人の保護を指示、市民に武器の携帯・
鮮人迫害を禁止した。・・・・・・・
内務省発表の統計だと関東大震災の前年に日本への「自由渡航制」
が出され、日本に入国した朝鮮人が2万3989人。
関東大震災のあった1923年が入国者数が2万0752人。
ところが4千人の虐殺があったと言う年の翌年1924年には二倍近い3万9621
人も入国しています。翌年1925年には渡航制限を行って1万3472人。この
渡航制限は1938年まで続く。
その当時は伝聞や新聞くらいしか情報が無かった時代に4千人も同胞を
殺された土地に朝鮮人が向かうかねぇ・・・。
まあ、関東大震災では日本人でも10万人以上が亡くなったのだから、
人口比から朝鮮人も4000人くらいは亡くなったでしょう。しかしその
4000人全員が虐殺されたとするのは不自然で、大部分は地震による火災
や建物倒壊などの災害死と考えるのが妥当じゃないでしょうか。
それに、渡航制限を行うくらいに朝鮮半島から日本へ行きたがる人が
多かったわけだから、強制連行なんかする必要なんて無いでしょ。(w
2
:
Doronpa </b><font color=#FF0000>(gX8zASqw)</font><b>
:2003/11/19(水) 23:51
>>田中銀氏
初めまして。
『写真 明治大正60年史』(1956年、毎日新聞社)等では数百人となっている他、
当時の資料も、多くて700人程度と出ています。
現在は、6000人という説が横行していますが
これは、中国の新聞で取り上げられた数字だと聞いています。
確かに虐殺は虐殺でしょうが、数をどんどん増やして、過去の日本を卑下するやり方は
到底納得出来ません。もちろん、この時の群集心理からの虐殺の考察も必要だとは思いますが。
3
:
コピペさん
:2003/11/20(木) 00:10
http://freesite.kakiko.com/temporary/sangokuzin.htm
#fuhoukoui
「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 89年 原書房
戦前から強かった日本人の在日朝鮮人への悪感情は、第二次大戦直後の経験によって更に強まった。それは、日本人が敗戦の苦悩と屈辱に打ちしおれていたとき、在日朝鮮人による犯罪、不法行為が続発したことであった。もともと戦前から在日朝鮮人の犯罪率は日本人の平均の10倍前後に達し、朝鮮人の住む貧民窟が犯罪の巣であるかのように見なされていた。(中略)
続発した不法行為
総人口わずか1%以下の在日朝鮮人の公務執行妨害は21%(1949年)、騒擾のごときは83%(1948年)、そして密造酒は全密造酒の30%近く(1953,54年)、ことに覚醒剤の販売量では全量の60〜70%を占めるという有様であった。(1953,54年)
公安調査庁坪井豊吉氏は、終戦後間もない頃の在日朝鮮人の犯罪状況について『法務研究』に次のように書いてある。
『本期における大きな傾向としては、個人的感情にもとづく報復的詐欺、脅迫、暴行などの一般犯罪のほか、いわゆる親日派民族反逆者への監禁、暴行、あるいは・・・・・帰国問題に起因する不穏行動、各地の保安隊、警備隊(朝連の自衛組織)などの警察類似行為、主食の集団要求や買出し、彼ら同士の派閥抗争などがみられた・・・・・またそれらの中の主な事件は、各地における集団強窃盗、官公署への横暴な態度と不当な要求、建築物の不法占拠、汽車、電車、バスなどの不法乗車、生産管理、人民裁判などであった・・・・・。彼らの不法行為は、敗戦による日本側当局の無気力と消極的な処置に乗じてやたらと増長され、戦後の混乱をいっそう助長するところとなった・・・・・敗戦の混乱におびえるに日本の一般社会人心は極度に不安な環境におちいり、一時は全く無警察状態が各方面に現出された。彼らの不法行為が、一般日本人はもちろん、在留外国人の間にまでも、彼らの性格が事大主義で、遵法精神が薄く、感情的で、極端な凶暴性をもっているとの深い印象を植え付けたことだけは、まぎれもない事実のようである。
この時代は、特にその初期は右翼と称される民団、建青などによっても数々の不法行為が敢行されていた・・・・・』
騒擾(そうじょう=不平分子が集まり騒いで社会の秩序を乱すこと 『騒擾罪』 )
民団(在日朝鮮居留民団→大韓民国居留民団)、建青(朝鮮建設促進青年同盟)
成年人口の20%の被検挙者(終戦直後)
朴在一氏も次のように書いている。(「在日朝鮮人に関する総合調査研究」新紀元社 1957年)
『15〜59歳の男女人口を犯罪年齢人口とすると、刑法犯、特別法犯の検挙人員は合計3万7276人(1949年)であるから、在日朝鮮人の成年男女の100人のうち、14.4人が検挙されたことになる。外国人登録法違反による被検挙者数まで入れると、この数字はもっと増えて100人当たり20.2人になる。このほかに道路交通法違反による検挙者1万9332人もいる。それ故に大都市警察の留置所が、何時でも朝鮮人で一杯であるという事も否定し得ない悲しむべき事実であろう』
今日ではこのような事態は著しく改善されたが、それでも、全在留外国人の中における韓国・朝鮮人の犯罪の人口比は平均より幾分高いのを常としている。一般犯罪のほかに、韓国人には、密入国者が多数にのぼるのが特徴である。不法人国による年間数千名にもおよぶ検挙者は、一時、長崎県の大村収容所に収容して本国に退去強制となるわけだが、必死の思いで密入国した彼らの抵抗はすさまじく、大村収容所でのトラブルは絶えなかった。
4
:
さらに・・・
:2003/11/20(木) 00:13
ちなみにロス暴動で狙われたのも朝鮮人。
常日頃の朝鮮人の素行の悪さが災いするわけだが、本人達には自覚なし。
5
:
南雲和夫
:2003/11/20(木) 01:00
4000人はたしかに推定であり、確定されてはいません。
しかし、それは「震災による被害者」ではなく、
自警団や警察などによって殺害された人の推計です。
ちなみに9月1日〜4日のあいだに殺害された人数の合計は
2600人以上にのぼっております。
また、朝鮮からの調査団は、その数を6600人と
計算しています。(同書より)
>不逞鮮人が日本の不穏分子と共謀して、放火・強盗・暴行を行っていると伝わる。
>パニックに陥った市民が恐怖・憤怒の極みに達し、各自武器・凶器を携帯し自衛
>に努める。
石原都知事がおなじ事を言ってますね。「不逞鮮人」とは?
こういうデマが虐殺を引き起こしたのです。そんなことくらいお分かりでしょう。
>また、内務省発表の統計だと関東大震災の前年に日本への「自由渡航制」
>が出され、日本に入国した朝鮮人が2万3989人。
>関東大震災のあった1923年が入国者数が2万0752人。
>ところが4千人の虐殺があったと言う年の翌年1924年には二倍近い3万9621
>人も入国しています。翌年1925年には渡航制限を行って1万3472人。この
>渡航制限は1938年まで続く。
日本政府は当時、日本への流入を適宜調節して
禁止や緩和を繰り返しています。
>その当時は伝聞や新聞くらいしか情報が無かった時代に4千人も同胞を
>殺された土地に朝鮮人が向かうかねぇ・・・。
朝鮮民族にとってはどっちも同じだったのでは?
残るも地獄、去るも地獄ですから。
当時在朝日本人も軍人や警察関係など100万人くらいいて、
その人たちはかなりひどい態度だったということです。
貴殿は当時の日本と朝鮮とで朝鮮人に対する日本人の扱いが
ちがっていた、とお考えですか?
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