貴方はこの時期中国には公式の記録がなかったと言われます。しかし公式記録に匹敵する記録がありました。それは国民党政府の対外委員会が監修し、上海の Kelly and Walsh社が当時出版した"Documents of the Nanking Safety Zone" 「南京安全地帯の記録」です。これは安全地帯に集まった全市民の保護のための、実
質的な行政組織であった、南京安全地帯の国際委員会の記録を編集したものです。この安全地帯はニューヨークのセントラルパークとほぼ同じ広さでした。そこに20万人の市民が集まったのです。勿論この数字は正確でないかもしれませんが、南京市警察長官王固磐から国際委員会に提出されたものです。従って違っていても、大幅には違わないと思います。そして「南京安全地帯の記録」によれば、この20万人という数値がその後の行政の基礎として使われました。重要なことはこの20万人という数値が虐殺により減少したのではなく、約1ヶ月後の2
月14日には25万人に増えたことです。これでも日本軍による組織的な大量殺人があったと思われますか。