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強制連行は実際にあったのか?

68ぢぢ:2003/11/26(水) 21:30
さて、話を戻して、昭和45年頃の鮮人どものことぢゃ。

生まれ在所が朝鮮の一世たちについては、実のところ、話は簡単
での、南鮮に帰りたければ、戦後の2、3年の内ならば無料で帰
れたことぢゃし、そうすればよかったのぢゃ。

なにやら主義にかぶれてあえて北鮮に行きたいというのならば、
これまた、用意された帰国船に乗れば良かったのぢゃ。これも無
料ぢゃったでの。

日本に残って、日本人になりたければ、帰化すれば良いのぢゃよ。
そうした者もおったし、韓国籍に切り替える手数を考えれば、帰
化申請をしてもおかしくはなかろうて。

もっとも、帰化するには、ヤクザものなどはだめでの、まっとう
な仕事についていなければならんかったのもたしかぢゃがの。

まずこのころの朝鮮籍の一世にとっては、いずれ帰国するという
のが大きな建前ぢゃから、自分らの子供が日本の企業やら公務員
やらに就職しようなどというのはもってのほかのことぢゃった。

また、韓国籍に切り替えたものも、日本で韓国人として生活して
いくことをわざわざ選択したのぢゃから、やはり子供が日本の企
業やら公務員やらに就職することなど考えておらなんだ。

ところがの、当の二世たちにとっては、こりゃ深刻なことでの、
同世代の日本人が企業や役所へ就職して、カタギの職業に就いて
いくのに、なんで自分たちはだめなのかと、そりゃ親がきめたこ
とで、自分達自身ではそんな選択をした覚えはないでの。

ぢゃが、それが気に入らんということであれば、本来ならば自分
の親を恨むのが筋というものでも、そこは情として、なんでも日
本の社会が悪い、差別ぢゃと決めこんだのぢゃ。

実のことを言えば、成人後に親に黙ってそっと帰化しようとした
二世も少なくはなかったのぢゃよ。

ぢゃがの、このころの日本の法務当局はな、なるべく一家で帰化
することを薦めておってな、それがだめでも、なるべく円満にと
いうことで、親が絶対反対などというのでは、よほどの事情でも
なければ、なかなかのことぢゃった。

帰化の手続きは個別事例対応で、裏に基準はあっても公表する訳
ではないでの、帰化しそこなってヤケになったような連中はあれ
これと吹聴するが、さて、実情はどんなものぢゃろうか。

ちとこれよりもだいぶん時期が後のことになるが、すっかり有名
になった辛叔玉という鮮人のおなごがおるぢゃろ。

あれも一人で帰化しようとして、失敗した口ぢゃよ。

本人は、帰化後の名前を辛叔玉にしようとして、断られたと言っ
ておるがな、新山節子ぢゃったかの、もともと通名で社会生活を
送っているものが、急に本名で帰化したいなどと言っても相手に
されんのはあたりまえぢゃが、本当のところの理由は知らんの。

今なら、普段使っている辛叔玉のまま帰化したいと言っても法務
局も真剣になって相談にのるぢゃろうが、さて、本人がのう。


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