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強制連行は実際にあったのか?

67ぢぢ:2003/11/26(水) 20:58
さて、鮮人の書いたなんとも珍妙な本の話をしておこうかの。

なんという題ぢゃったかの、たしか「朝鮮人強制連行の記録」とい
ったかの。
(朴慶植著 未来社刊)

これが出たのが昭和40年のことぢゃ。

中身はなんのことはない、戦中の徴用動員で鮮人が数多く内地に動
員されたことを少々誇張して書いておるのぢゃが、書いていないこ
ともあっての、当時は鮮人は日本国民ぢゃて、別に鮮人だけが徴用
されたわけのものではない、日本人みんなが兵役やら徴用やらでお
国のために働いておったということぢゃ。

前にも言うたがの、徴用で来た鮮人はたしかにおったし、数もおお
かったのぢゃが、これらはみな戦後の間もないうちにさっさと帰国
しおったでの。

後に残ったのは、戦前から来ておるものか、斡旋で来て家族を呼び
寄せたものか、徴用で来てもあまり大きな声ではいえぬ事情で帰れ
なくなったものぢゃて。

また、いったん帰国してから食い詰めて舞い戻ったものも少ない数
ではないのぢゃ。戦後しばらくは炭坑などでは人手が不足しておっ
たでの。戻っても働き口はあったのぢゃ。

細かいことを言い出せば、この連中は密入国ということになるの。

なにやらの調査では、在日鮮人の一世の1割と少々が、斡旋やら徴
用動員できたものとなっておるらしいがの、戦後のどさくさに密航
してきたものも、ここに入っておることぢゃろうて。

(在日本大韓民国青年会中央本部刊 「アポジ聞かせて あの日のことを」 1988)

まさか、正直に密航してきたとも言えんぢゃろうからの。

そもそも、強制連行などという言葉はこの本がこしらえた言葉ぢゃ
よ。この後、繰り返して鮮人どもが使うようになったがの。

何を妙なことを言い出すかと思ったがの、結局は、鮮人が日本に居
残るための言い訳を考えはじめおったのぢゃろうて。

ぢゃが、昭和も40年頃になると、戦前戦中のことなど知らん連中
が高校生やら大学生くらいの年頃になっておったで、この連中がす
っかりとだまされての、なんと無理やり連れてこられて、国に返し
てもらえんとは気の毒にと思い込んだものぢゃ。

まだまだ、日本を目指して経済難民がやってくるようになる遥か前
のことぢゃ、日本人は残留孤児のように凄惨な境遇のものを除けば
みな外地から引き揚げてきたで、鮮人が帰国せんのには、なにやら
悲惨な事情があるのぢゃろうと考えるものがおおかったでの。

なにしろ、戦後生まれの連中はの、鮮人が日本国民であったころの
本当の姿を見ておらんで、鮮人どもは、まんまと「気の毒なひとた
ち」「かわいそうなひとたち」という印象を売り込んだのぢゃ。

なんと言うたかの、団塊世代と後に呼ばれることになった連中ぢゃ
よ。これがまた、あれこれと騒動をおこすのぢゃ。

それにな、言葉もまだ少々不自由な在日鮮人の一世にくらべて、こ
の代の鮮人はもう外見上は日本人ぢゃで、同じ日本人が差別されて
おるとも見られるようになってきたのぢゃの。


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