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日本の朝鮮併合・統治は過ちだっただろうか?

60hesomagari:2003/10/07(火) 10:00
南雲氏へ。

最初に一言申し上げます。あなたを不快にさせた、「レッテルはり」の言動を
取り消し、謝罪いたします。不快な思いをさせて、申し訳ありませんでした。
尚、それ以外の、私の意見は取り消しません。

さて、私なりに、併合当時の農業を調べてみました。要するに、悲惨な収奪が
あったのかどうか、ということです。
これは、トピ主さんの趣旨に従ったものです。

併合当時1912〜1916年平均で、米の生産高が、12,303千石であり、1942年当時には、
24,885千石と、二倍になっています。にもかかわらず、韓国歴史教科書には、
一人あたりの米消費量が少ない事が記述され、米を奪った日帝と、評価されています。

これは、朝鮮人の、当時の食習慣が、米主体ではなく、雑穀主体であり、
米が従であったことが、原因のようです。ちなみに、水田は、全耕作地の
3分の1であったことからも、推察されます。

また、このことが原因で、「ほとんどの」農民は貧困となり、満州国へ移住を余儀なくされた、
とか、火田民になったとか、書かれているようです。
しかし、1931年では、朝鮮の火田民は139万9400人であり、満州国にいる朝鮮人は、
67万1535人でした。
つまり、火田民になったり、満州国へ移住したりした人は、この人達を、全員、元
農民で、日帝の収奪により、仕方が無く、追いやられた人達と仮定しても、
合計約200万人で、全朝鮮人(1933年当時)の1割程度だそうです。

また、満州在住の朝鮮人は、当時、42万人が、併合前からの在住者であることから、
結局、当時の移住者は、25万人であることが分かります。人口比で言えば、
1.3%にしかなりません。

収奪があって、やむなく満州に行ったり、火田民になって、飢餓にあえいだ
農民の数は、「ほとんど」と表現されていますので、
当時の朝鮮の農業人口は、全人口の1.3%にしかならないことになります。
これが本当なら、「ほとんど」という表現は、聞いて呆れます。


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