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日本の朝鮮併合・統治は過ちだっただろうか?

299南雲和夫 </b><font color=#FF0000>(F4Hpl2wQ)</font><b>:2003/12/03(水) 16:04
(Doronpa氏)
> 総督府が農業振興を図った事は事実であり、
> その結果として食料増産そして、人口増加へとつながった過程を述べているの

一人あたり食糧消費が減少している事実をみれば
「食糧増産が人口増加へつながった」と見ることはできません。
食糧増産の第一の目的は「日本の食糧事情の改善」であり、軍隊の食糧確保です。
それは数字にあらわれています。当時の日本も年々人口が増加していますが
一人あたりの食糧消費は年々増加しております。
なぜ同じ人口増加傾向にあるのに朝鮮から日本へ輸出されていくのでしょうか?

> また、米の輸出に関しての指摘ですが、増産分より大量に輸出されていると
> いう指摘と米の一人当たりの消費量の変化は矛盾していませんか?

米の生産高、輸出高、そして朝鮮人の個人消費量の各数字は提出してあります。
ですからそれを元に計算すれば数字は出ます。
実際に計算したうえで「矛盾」とおっしゃっているのでしょうか?
何度も同じ数字をあげるのはあほらしいのですが、お手本を見せましょう。

当時の米の生産高は
15〜19年平均で1398万石
30〜36年平均で1684万石

同時期における日本への輸出量は
15〜19年平均で 193万石
30〜36年平均で 816万石

したがって生産高から輸出量を引けば朝鮮での総消費量が出ます。
15〜19年平均で1205万石
30〜36年平均で 868万石

同時期における朝鮮人の消費量は一人あたり
15〜19年平均で0.71石
30〜36年平均で0.43石

ここから、当時の朝鮮人の人口を割り出すことができます。
(当時約100万人くらいいた日本人はこの際無視しましょう)
15〜19年平均 1205万石÷0.71=約1700万人
30〜36年平均  868万石÷0.43=約2000万人

つまりちゃんと人口増加分を計算に入れていることがわかります。
小学生でもわかる、こんな計算を、いちいちあなたの目の前で
やってみせなければ解りませんか?

> また、統計最終年度の43年に0.6246石に戻っていますが、
> これも説明が付きません。

説明がつかないかどうか、今度はひとの手を借りないで
ご自分で計算してみてください。
それに、貴殿の主張は「朝鮮人のひとりあたり消費量が一定である」
ことを前提としているものであり、その前提がまちがっています。
また、すでに申し上げたように、日本や満州への大量の人口流出などによって
一時的に0.6246石に戻った可能性もありますが、
それでも0.6246石ですよ。これは、約75キロになりますね。
365日でわれば一日平均約205グラム。お茶碗一杯という量になります。

> ついでに言えば、米は輸出されたのであって、それは朝鮮農民の意思に
> よる物です。

証明してください。これもなんども要求しているんですが。

> 日本側の資料では1933年には、日本の備蓄高は1000万石
> を超えています。この状態で、さらに朝鮮から米を奪ってきたと考えるのは
> 非常に不可解ではありませんか?

1000万石ってどのくらいか知ってますか?
米2俵=約120キロで1石なんですよ。ですから、トンになおせば
1000万石=120万トン。大した備蓄量ではありません。
当時人口4000万の日本人の3ヶ月分にしかなりません。
最低一年分備蓄してはじめて、翌年の米の収穫までの有事に耐えられるのです。
1933年といえば、すでに満州事変が勃発しており
日本が戦争の泥沼にはまりこんでいきはじめた時期ですが、
軍の食糧備蓄の必要もあってとても充分とはいえません。


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