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日本の朝鮮併合・統治は過ちだっただろうか?
217
:
さらに・・・
:2003/11/20(木) 00:39
総督府(日本の朝鮮統治府)以前の李氏朝鮮社会は、司法行政の綱紀が乱れ、教育、衛生は顧みられず、
河川、林野が荒廃し、道路、橋梁もなく、港湾も船も車もなかった時代であった。
それから二十年後(日本統治時代)の昭和初期に朝鮮を訪れたアメリカのブルンナー博士は、
朝鮮農村の実状を視察して、地方の古老にも接触して今昔を比較し、
(李氏朝鮮と日本の統治が)天と地ほどの差があることに驚愕した。
朝鮮総督府は人さらい、草賊(盗賊)暗躍、飢民あふれる李朝末期の社会に、
産業 を興し、治安を回復し、近代社会を作ったのであった。
「歪められた朝鮮総督府」黄文雄
植民地時代の朝鮮では農業経済が安定し、工業生産力が拡充するなど、多くの発展があった。
それは自生的なものではなく、日本の植民地開発による部分が大きい。
例えば、GDPは1912年から37年までの平均で4.15%の成長だった。
これは当時の先進国の成長率を上回っていた。
それは植民地化の過程で日本が持ち込んだ貨幣制度、土地調査などの近代的な諸制度、
そして港湾、鉄道、道路、電信、銀行などのインフラストラクチャーの拡大によるものだった。
ソウル大学経済学部 安秉直教授
当時、大韓帝国の財政はすでに破産状態で、民衆は勤勉な人であっても職がなく向学心はあっても学校がなかった。
そのとき、寺内初代総督が日韓併合の結納金として韓国へ持っていったのは三千万円の大金だった。
もちろん、その当時、一千三百万の人口だったから、ばらまいたのは朝鮮王族、貴族、功労者、
両班等だけで残り三百万円は社会福祉の基金にまわった。 それでも韓国人は万歳と叫んでいる。
もちろん、亡国を叫ぶ志士たちもいたが民衆は、シベリアや満州の間島へ行くよりもむしろ喜んで、
片道だけの切符で玄界灘を超え、日本に押し寄せてきた。
朝鮮総督府は「強制連行」どころかどのようにして韓国人の日本への大量流入を阻止すればよいのか苦慮するほどであった。
「中国・韓国の歴史歪曲」黄文雄
日本のインスタントラーメン会社「明星食品」から技術提供を受け、
韓国に初めてインスタントラーメンを導入した「韓国食品会社三養食品」の全仲潤会長の話を引用する。
今になってみると、日韓併合は韓国人にとって不幸の始まりだが、不幸中の幸いだったともいえる。
当時の韓国は、決して自分たち一国だけではたちゆかず、
遅かれ早かれロシア、中国、日本のいずれかの支配下に入らざるを得なかった。
もし、ロシアや治癒動くの支配下に入っていたら、今の両国の現状を見るにつけ、
そして北朝鮮の惨状を知れば知るほど、日本の支配下でよかったと思う。
これが私の考えだ、私はまったくの少数派だがこの考えは変わらない。
「韓国人の歴史観」黒田勝弘
日本が韓国の警察制度の近代化に乗り出したのは、明治四十三年でした。
警務総長には日本の憲兵司令官をあて、憲兵と警察を一元化しました。
一般に韓国民衆を弾圧するためと即断されがちですが、
無差別に行なわれる韓国官憲の横暴や拷問を防ぎ、
「義兵」などと称して行われていた山賊まがいのことや、
親日派韓国人のテロ、襲撃を防ぐためには断固たる措置が必要であったのです。
しかし、日本人は語学が出来ず、民情にも疎いので
憲兵・警察の補助員として韓国人を募集しました。
当時、日本人憲兵一千七人、韓国人憲兵補助員一千十二人、
日本人巡査二千二百六十五人、韓国人巡査三千四百二十八人で、
いずれも韓国人の方が多かったのです。
ところがこの補助員たちは、これまでの宿怨を
日本の権力を借りて晴らす者が多く、悪弊を直すのに困りました。
「歴史民族朝鮮漫談」今村鞆
「朝鮮人は日本の両班取締りを感謝したが、下級補助員(朝鮮人の補助憲兵、朝鮮人巡査、朝鮮人通訳)
の横暴こそ、後の日本に対する悪感情を生んだ。
如何に横暴だったか、驚くべき事例を沢山知っており、一冊の本が出来る」
「日韓2000年の真実」名越ニ荒之助
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