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日本の朝鮮併合・統治は過ちだっただろうか?
197
:
南雲和夫
:2003/11/19(水) 15:54
hesomagari氏
> 人口の増加と、米の生産量が釣りあわないとすれば、どうなります?
> 100人いる村で、100石の米が取れれば、一人1石ですね。
> 100人ずつ人口が増えても、米が50石ずつしか増えなければ、
> 段々、一人頭の取得するお米の量も減るでしょうに。
「人口が増加した、しかしコメの生産量は少なかった」だけなら、その理屈は
とおります。
ただしその場合でも、日本人も朝鮮人も摂取量が減少するのではないでしょうか?
コメの平均摂取量は「朝鮮半島と日本」との比較ではなく「朝鮮人と日本人」
の比較です。
貴殿はもうひとつの要素をお忘れではありませんか?コメは増産されています。
しかし、「日本への輸出量」が増産量を上回ってい るのです。
1915〜19平均の朝鮮でのコメ生産高は1398万石、それは年々増加し
1930〜36平均では1684万石となっております。つまり約20%の増加です。
同じ時期、人口は33%ほどの増加になっています。
ところが同時期に、日本へのコメの輸出は193万石から816万石へと
4倍以上に増加しています。(いずれも講談社「朝鮮史」)
コメの生産量からそれぞれ輸出量を差し引いてみてください。
1915〜19年頃には、1205万石。ところが、
1930〜36年頃には、868万石へと減少しているのです。
朝鮮半島では人口が増えているのに、日本政府は、そこからどんどんコメを
むしりとるように日本へ輸出させているのです。しかも
その生産・流通の過程で利益を得ているのは朝鮮人ではなく日本人でした。
つまり、この日本の政策が「朝鮮人は飢えても日本人さえ満足ならよい」
というものであった事は、コメの生産と流通の数字が証明しているのです。
もしも「おなじ帝国臣民」である日本人と朝鮮人とを同等に見ていたのなら
当時のコメの生産量と人口増加とを比較したら、むしろ日本から朝鮮へと
逆輸入するべきだったんじゃないですか? そうしなかった所に
すでに朝鮮人への当時の日本の態度が見えております。
> それから、朝鮮民族は雑穀が主なのは、併合前からですよ。併合時から
> とは書いておりません。少しは勉強して下さい。
では、貴殿の説明では、こうなるのですか?
「併合以前には、ほんとうはもっとコメ摂取量は少なかったが、
併合直後、急速にその量は0.7石ほどに上昇した。そして
それからまた徐々に減少し30年代には0.4石になった」と?
なんとも奇妙な摂取量の変化ですな。
もしもある時期、くらしが貧しくて米が手に入らなかった場合、
だれでも他のものを代用するものです。
李氏朝鮮の時代には飢饉であったとhesomagari氏は言われています。
その時には朝鮮人の多くはもしかして雑穀を食していたかもしれませんね。
でも、それは「朝鮮人の主食は雑穀だ」という証明になるのでしょうか?
日本の農家だって昭和初期のころまで、飢饉のころ、東北農家は
フスマとかどんぐりなどを蒸して食べていた記録があります。
では東北農家の主食は「ふすまやどんぐり」なのでしょうか?
貴殿は、現在の北朝鮮の人の「主食」はトウモロコシや
道ばたの野草などだとお考えなのですか。
米は元々、中国江南流域から直接か、または
朝鮮半島を通じて日本に伝わったとされています。
日本人と朝鮮人の食習慣は、すこしずつちがっていますが
両方とも「米が主食である」点では全くかわりません。以上
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