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2回生のためのゼミ選び

893名無しさん:2014/08/05(火) 13:56:56
さて、現在の立命館校歌は一番のみで、その歌詞を紹介します。

あかき血潮 胸に満ちて
若人 真理(まこと)の 泉を汲みつ
仰げば比叡 千古のみどり 伏す目に清しや 鴨の流れの
かがみもとうとし 天の明命
見よ わが母校 立命 立命

 実は、戦前・戦中までは校歌は二番までありました。しかし、戦後になって封印されたものです。

見よやみどり とわの映えは
あふぐもかしこき 平安の御所
よき師友どち 和みてここに 契ひて結べる 
「禁衛」「立命」 躍進日本の輝きを得る
見よ 我が母校 立命 立命

 封印された歌詞なので、戦後の立命館出身者では殆ど知られていません。

 立命館大学の設立は、勤労者の夜間学校として更に京都帝国大学教員の生活支援の為の副業を目的として設立された歴史があります。
 『戦争への道』の時代に、京都帝国大学の滝川幸辰法学部教授が左翼的であると思想弾圧によって罷免を要求され、それに抗議して三十数名の法学部教授が辞表を提出した『滝川事件(京大事件)』が起きました。政府当局の真のターゲットは後の立命館総長の末川博教授であったという説もあります。
 この事件で退職した京大教授18名を迎えたことから、戦前から立命館は左翼的であったという印象を与えます。

 しかし、その一方で「満州国」の支援により立命館日満高等工科学校を設立したり、石原莞爾陸軍大将を教授として迎えた歴史があります。

 終戦直後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により解体すべき軍国主義的大学の筆頭と、位置付けられたのです。
 しかし、朝鮮戦争のぼっ発や末川博法学博士を総長として迎え入れたことによって、現在も立命館大学は存続しているのです。

 立命館校歌二番の封印は、戦前から終戦直後までの立命館の歴史を象徴する出来事だったのです。誰しも封印したい過去があるのは事実です。しかし、正しくは、なぜ歌詞の封印をしたのかという理由を伝えるのが『歴史』を学ぶ姿勢ではないでしょうか?
 なお、あるサイトで立命館出身者がこの事実を全く知らないと記しているのを見かけました。しかし、それは誤った記述です。僕の学友の全ては、歌詞は覚えていなくても事実は知っています。


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