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摂折について。
96
:
伝六
:2005/07/10(日) 18:13:41
念佛無間という主張を摂受とよぶべきか、折伏とよぶべきかと問われたら、漢字の意味を解する人なら折伏とよぶべきであるというでしょう。摂受なら、念佛すれば極楽往生しますかと聞かれれば答えるけれど、わざわざでかけていって、極楽往生ではない無間地獄だということはしないでしょう。しかし、相手が怒って暴力でせまってきたときには暴力で対抗することはされませんでした。ただし右の頬を打たれれば左の頬をさしだせなどとやっていた日には命がいくつあっても足りないから、可能なかぎり難はさけられた。在家は日蓮聖人をおまもりするために、刀をふるって戦った人はあるけれど、暴力で相手を折伏?した人はないし、個々の人にそのようなことを教えられたことはないと考えます。古人に本尊抄の僧摂受に対して僧俗分別の義があるそうですが、これは僧とは何かと定義してかからないと話がややこしくなります。しかし実行問題とはあまり関係がないので、究明は学者にまかせたいと存じます。
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