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摂折について。

9川蝉:2005/06/20(月) 09:57:47

問う、しからば安楽行品に末法弘経の方規を顕示したまうは只、教門一途の施設にして実に此の法軌を用て弘経する人なしと云うべしやいかん。

答う、しからず四安楽行の方規、何ぞ所用なきに、むなしく設けたまうべきや。
凡そ末法の弘経は五濁障重の時節なり。不軽菩薩の弘経は像法の時なるすら、尚を本未有善の機縁なれば而強毒之の逆化をなしたまえり。況や末世法滅の時に於いてをや。
最も深位の菩薩、強障を忍受し、折伏門の弘経を正意とし、逆機に対して来縁をなしたまうべし。
されば釈尊、末法の弘経をば尚を迹化深位の諸菩薩を簡去したまえり。況や実行初心の菩薩をや。

しかれども法華弘通の功徳広大なれば、始行初心の菩薩も我が器量に相応して、十悩乱を遠離し、山林幽谷に閑処して身口を慎み、門者あれば答し、随力演説の弘経、摂受門の説法あるべし。

故に安楽行品の方規むなしく施設したまうには非ず。さればとて末法正意の伝持とは心得べからず。只だ人に約する一義のみ、通総するには非ず。不軽の記に十義を以て不同を判じたまえり。学者往見したもうべし。(諌迷論四・57紙左〜59紙左)
(引用終わり)


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