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摂折について。
85
:
shamon
:2005/07/08(金) 13:59:03
犀角さんと言う方は、文意も読めず、「しからばすなわち」と言う日本語の意味が解らないようですね。自分の放った言葉は棚に上げて「詐術を弄しています」などと非常に失敬な方で、今度は「悪僧」呼ばわりですか。お話になりませんね。犀角さんが、回答不能!回答不能!と言ったところで、頓珍漢な質問には私が答える義理もないことが解らないのでしょう。
馬鹿馬鹿しい愚問ですが、もう一つ指摘して差し上げましょう。
> 説法者は持戒者であるので摂受に当たるがどうか、という問を無視した
この方は、日蓮聖人が、非法の悪人を降伏する僧侶(折の義にある僧侶)は持戒以上の者であると述べている文章が読めないようです。
この方は、自分で自分の言っていることも解らないのでしょうか。全く話にはなりません。
> 80 (1) わたしは〜折伏を前、摂受を後といっている (2)「執持刀杖斬首」の折伏義は日蓮聖人は当たらない
再掲します。
①日蓮聖人は、仏教の弘教方法には摂受と折伏の二門があるが、時に応じて折伏を前とした。
>> 折伏を前にしたと述べているのですよ(shamon)
> ですから、そんなことは誰が否定したのですか。(犀角)>50
②日蓮聖人は「首を斬る」折伏を白衣に説いていない。施を止めよと説いている。
>> 日蓮聖人が白衣のなすべき折伏は「首を斬る」ことと主張されていたことを、御遺文を以て証明して頂けないのであれば(shamon)
> これは、一体、誰がそんなことを言ったのですか。(犀角)> 68
以上①②は片づいています。さて、次に「僧侶の折伏」について進みましょう。開目抄の摂折二門について述べたものです。“摂・折の義”です。
「法華経の安楽行品に云く『楽(ねがつ)て人及び経典の過を説かざれ。また諸余の法師を軽慢せざれ」等云云。汝この経文に相違するゆへに天にすてられたるか。』答て云く、止観に云く『夫れ仏に両説あり。一には摂・二には折。安楽行に不称長短というごとき、これ摂の義。大経に刀杖を執持し、乃至首を斬れというはこれ折の義。与・奪途(みち)を殊(こと)にすといえども、倶に利益せしむ』
答えて云わく、涅槃経に云わく〜「非法の悪人を降伏すること能わず。かくのごとき比丘は自利し及び衆生を利すること能わず。まさに知るべし、この輩は懈怠懶惰なり。能く戒を持ちて、浄行を守護すといえども、まさに知るべし、この人は能くなすところなからん。乃至、時に破戒の者あつて、この語を聞き已つて、咸(みな)共に瞋恚して、この法師を害せん。この説法の者、たといまた命終すとも、故(なお)持戒自利利他と名づく」
ここで述べているのは
1)非法の悪人を降伏することをしない僧侶は怠け者であって、自利も利他も出来ぬ者である。たとえ持戒し浄行すると雖も、全く何の役にも立たぬ者である。(摂の義にある僧侶)
2)非法の悪人を降伏させようとした僧侶は、破戒の者から迫害されて命を落とすようなことがあっても、持戒し自利利他を為した者である。(折の義にある僧侶)
犀角さんという方は日蓮聖人の御遺文に違って、非法の悪人を降伏させようとした(折の義にある僧侶)を否定し、非法の悪人を降伏することをしない僧侶(摂の義にある)僧侶を肯定するのでしょうか? さらに、日蓮聖人は述べています。
「(釈尊を捨てよと教義を立てていた)念仏者・禅宗等を責めて彼等にあだまれたる、いかなる利益かあるや。答て云く、涅槃経に云く「もし善比丘、法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し、挙処せずんば、まさに知るべし、この人は仏法の中の怨なり。もし能く駈遣し、呵責し、挙処せば、これ我が弟子、真の声聞なり」
ここで述べているのは
1)法を壊る者を見て、呵責せず、追い出さず、見逃すような僧侶は仏法の怨である。(摂の義にある僧侶)
2)(法を壊る者見て)追い出し、呵責し、見逃さぬ者こそ、真の我が弟子である。(折の義にある僧侶)
犀角さんという方は日蓮聖人の御遺文に違って、法を壊る者見ても呵責せず見逃すような仏法の怨である僧侶(摂の義にある僧侶)を肯定して、法を壊る者見て呵責し見逃さぬ真の我が弟子である僧侶(折の義にある僧侶)を否定するのでしょうか?
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