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摂折について。
79
:
川蝉
:2005/07/07(木) 20:23:36
と有って、持戒の比丘、持法の比丘も駈遣呵責糾治して戒を破し正法を壊する者を斫伐するのですから、この文の中に折伏という言葉が無くとも、伊藤教授が論じた折伏の語意から云えば、折伏を行じる者と云うことになります。
金剛身品第五にも
「それ護法の者は、・・利養の為めに国王、大臣、長者に親近せず。諸々の檀越に於いて心諂曲無く、威儀を具足し、破戒、諸々の悪人等を摧伏す。是れを持戒護法の師と名づく。能く衆生の真善知識と為る」
ともあります。威儀を具足した比丘も破戒者悪人を摧伏するのです。この経文中に折伏という言葉が無くとも、摧伏するのですから折伏を行ずる者と云えます。
ですから、謗法の諸宗を呵責した日蓮聖人の弘通の化儀も、当然、折伏の範疇に入ることになります。
伊藤瑞叡教授の「折伏論の新研究(上)」に「第二章不軽品の摂折論(但行礼拝は摂受か折伏か、原典をもって解明する)」が有ります。
教授は
「したがって、常不軽行は、上慢者(=逆縁)に強いて真実語(=乗種)をもって略法華(=妙法)を説示し三毒を激発せしめ(因謗堕悪必由得益せしめ)て下種結縁(=教化)せしめることをもって逆化するものである、と知られます。
すなわちかくの如くして乗種をもって畢竟じて上慢者のもつ重悪(=邪智謗法)を激発し消去せしめて制止し、しかして性種を勧発し成熟せしめるべく調伏するもの(=折伏)である、とも理解されましょう。
要するに常不軽行は、逆化の次第をもつ折伏の作用を有するものである、と結論することができましょう。」
とし、
「第二章の七、結論ー略法華の真意義ー」においては、
「なお常不軽の但行礼拝・略法華経は、理念的には仏性の性種(=元品の法性)に対して摂受を、現存的には仏性の性種を覆障する元品の無明に対して、それを激発して、仏性(=仏知見)を勧発するために乗種を下種する折伏を、それぞれ示現している、と解釈することもできましょう。天台大師は前者を視野に入れて折伏を示唆し、妙楽大師は後者に力点を置いて折伏の意義を闡明している如くであります。
かくして人々によっては、性種に対する但行礼拝の側面を重視して、これを摂受であるとのみ判断する場合もありえましょう。無理もないことですが、知的怠惰による誤解は顛倒であります。
(上慢者に仏性を見る点で)意業摂受・(但行礼拝を修し略法華経を説く点で)身口折伏とも、(但行礼拝を修する点で)身儀摂受・(略法華経を説く点で)口説折伏とも見ることができるでありましょう。
しかし已に論明した如くですから、但行礼拝の常不軽行は、普遍なる性種と特殊なる乗種との総合という具体的普遍の次元にあっては、すなわち現存的には、上慢者を対象とする故に折伏を示現している、と見るべきであります。
以上、但行礼拝は、原典をもって解明すれば、まさしく折伏である、と結論せられます。」
と論じています。
私がずっと「不軽菩薩の化儀は折伏であり、その後を紹継された日蓮聖人の弘通の化儀も折伏の範疇に入る」と主張してきたと同じ見解なので、参考として伊藤教授の論をおおざっぱですが紹介しておきます。
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