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摂折について。
78
:
川蝉
:2005/07/07(木) 20:22:39
私は語学がからしき駄目なので、立正大の伊藤瑞叡教授に、幸い一部残っていた教授の「摂折論の新研究上・下」を送ってもらいました。
「第一章勝鬘経の摂折論(摂受折伏の原語・意義を究明する)」
の、
「六、摂受折伏の原語・原意」において、
折伏のサンスクリット原語は、チベット訳語から、「制止的な調伏」を意味するnigrahaないしnigrahana(nの下に点あり)と還元推定することが出来るとし、
nigrahaは、語根と諸訳を対照してみると、
「(責任倫理による呵責=論理的批判を示して)制止的に調伏する(べく説示する)こと」
を原意とする、と理解されるとし、
勝鬘経に於ける折伏とは、先行経文を合わせ見て
「悪業をもって生活したり、如来の定めた法と律儀を汚辱したりする、悪律儀のもの、清浄なる禁戒を毀犯するものを見たならば、決して看過しないで(責任倫理による「呵責」=「令法久住という目的に適応する真実語をもってする理性的論理的批判」を示して)制止的に調伏する(べく説示する)こと」
であると考察し、
「それは日蓮教学の伝統説でいう、因謗堕悪必由得益とか禁断謗法とか呵責などの意を含む折伏の義に相当します」
と論じています。
さらに、「九、十地経論における摂折論」には
摂受・折伏の原語をanugraha・nigrahaであると仮定すると、この二語は十地経論のチベット訳にも対峙併挙されているとし、
十地経論の折伏とは
「菩薩が菩提を得るために、(自分が)邪論により自法より変転(=退転)しないために、他者が(邪論により)引導されないために、無畏なる弁才(無碍智)をもって邪論外道を破折すること」
である、と知られるます。と論証しています。
さらに「十、結論」において、
確認されるべき要点として23点を提示していますが、その中の(12)には、
折伏の対象となる衆生は、勝鬘経によると「悪業をなす悪律儀のもの、如来法の律儀を汚辱し清浄禁戒を毀犯するもの」(今経は一乗とされるから、これは一乗の視点より見てのこととならうから、一乗を毀犯するものか)であり、義疏によると「重悪のもの(邪智謗法のもの)」であり、十地経論によると「菩薩をして自法より変転せしめ他者をして引導する外道異論者たる邪論者」であり、大日経によると「悪趣の因に住する者(悪趣の因を有する衆生)」であり、極楽願文によると「邪説(をもつもの)」である。
と述べ、
(13)には
「よって折伏は、「悪律儀をなし悪趣の因に住する重悪の邪論者」および「邪論者に引導される人々」に対する「菩提を求める(上求菩提下化衆生の自行化他をなす)菩薩」の責任としての倫理によるものである、と知られる。
と述べています。
「持戒の比丘ありて威儀具足し正法を護持し、法を壊する者を見て即ち能く駈遣呵責糾治するあらば、当に知るべし。この人福を得ること無量にして称計すべからず。・・・持法の比丘も亦復是の如し。壊法の人を駈遣呵責して善法を行ぜしめば、福を得ること無量なり。善男子、たとえば長者所居の処は、田宅、屋舎に諸々の毒樹を生ず。長者知りおわりて即便ち斫伐して悉く永く尽さしむるが如し。又少壮の首に白髪を生ずれば、愧じて翦抜して生長せしめざるが如し。持法の比丘も亦復是の如し。戒を破し正法を壊する者有るを見ば、即ち駈遣、呵責、挙処すべし。若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」(長寿品第四)
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