[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
摂折について。
54
:
shamon
:2005/07/04(月) 00:55:52
さて、犀角さんは長年の創価学会で身に染みついた物事の考え方や、自己の主張に都合の悪い者への悪しき対応から抜け出せないようですね。心ある者は、日蓮聖人の折伏姿勢の誤解を解こうと尽力してきたところですが、当の犀角さん自体が罵倒を繰り返し、その誤解を増長させているところは当に皮肉的なことです。文意を掴めるまともな方ならば、私が既に十分な回答を示していることに気が付かれているでしょう。
>> 折伏を前にしたと述べているのですよ
> ですから、そんなことは誰が否定したのですか。
まず、一つは片づいたようです(笑)。
①日蓮聖人は、仏教の弘教方法には摂受と折伏の二門があるが、時に応じて折伏を前とした。
では、次に「白衣の折伏」とは如何なるかに参りましょうか。犀角さんは、天台大師の引用した涅槃経を基に、折伏とは「首を斬ること」だと執拗に拘っています。しかしながら、当の日蓮聖人は、私が>33で文証を示したように、「では首を斬るのか」との問いに対して、「釈尊は首を斬れとは説いていない、布施を止めることである」と折伏について回答されています。また、当の天台大師は涅槃経を引用して摂受と折伏の在り方の違いを示しましたが、法華玄義では「法華折伏破権門理」と、法華経の折伏とは「権門の理を破すること」即ち言論に依るものであるとの御自分の考えを示されているのです。
犀角さんが涅槃経の折伏の文に拘って、その文意を読まずに、肝心の日蓮聖人や天台大師のお考えを歪曲しているのは明らかです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板