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摂折について。
52
:
伝六
:2005/07/01(金) 18:13:08
shamonさんが、本尊抄の摂受は摂受正法の意味だというのは、これは今成師がそう言っています。摂折現行については、「福神」という雑誌でもとりあげられたので、私の意見を書こうと思いつつ、ずっと躊躇しています。というのは本尊抄は信仰的に拝読しなければ、わからない書だからです。決して、何人といえども分解的理性で理解できるものではありません。もし学問的にやるなら、観心本尊抄の解釈学?を確立してからでないと議論は無意味だと考えています。山川智応博士は過去の所説をまとめて、1、教門折伏・行門摂受 2、口業折伏・身業摂受 3法体折伏・化儀摂受
と折伏の日蓮聖人が、摂受と言われる意味を要約されています。山川博士はこれらの過去の説を踏襲して、上行菩薩は末法第五の五百歳に僧として出現され、未来に本門戒壇が建立される時、賢王として出現されるとしています。古人の中には賢王の出現が日蓮聖人の時代でなきえればならないと考えて、蒙古王が賢王だと言った人があります。しかし今日ではフビライの性格や統治のしかたが研究されていて、とても本化の菩薩の垂シャクとは思えない。それはさておき、「まさに知るべし、この四菩薩折伏を現ずる時は賢王となって愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧となって正法を弘持す」賢王、僧ともに日蓮聖人出現のときのことを言われたというよりは、むしろ日蓮聖人の未来記であると解釈します。未来に摂受を行ずる僧の出現がどういう形でありうるのか、それは今心配する必要はない、賢王はいつ出現するのか、それはわからないけれど、機が熟したときに出現されるのでしょう。大事なことを書きちらかすような形で恐れますが、書かないのも落ち着かないので書きました。
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